土気(とけ)

JR外房線を千葉から南に数駅(千葉・本千葉・蘇我・鎌取・誉田・土気)いくと、土気(とけ)駅があります。
私の生まれ育ったまちです。
そこには今も実家があり、東京に出たついでに、実家に開業した旨の報告に行きました。数十年前、私の父も千葉で事業を起こして会社経営者としてずっと社長・会長として経営をしてきました。その父とたまには、ゆっくりと日々のこと、現在の経済環境のこと、これからの事業のあり方、などを話していました。
この土気という土地の名前の由来が様々あります。とうげ(峠)のまち、ということで、なまって「とけ」になったという説。それから非常に牧歌的で、田舎町なので「つち」の「けはい」にあふれているので「土気」となったとか。
とてものどかな田舎で、子供のころは、川や水田に蛍がいて、父に手をひかれて見に行ったことを覚えています。実家の裏には牛舎があり、畑にはたい肥がまかれた春先。そのはたけを自転車ではしりまわってあらすような悪がきでした。ときどき、積まれたたい肥の山をジャンプ台のように駆け上って、途中で山が割れて、つっこんだこともあります。この時にうんがついたのだ、と両親はいいますが(笑)。それのせいかは、定かではありませんが、子供のころ、やたらとくじ運が良かった、という時期があったとも。
父の話口調は私によく似ています。たぶん私が似ているんだろうと思いますが。父はよく校長先生とかから、地域の子供を育てる事業をしないか、と言われるそうです。学校の先生が子どもの指導の仕方を聞きに来ることもあるそうです。
そういう父の話かたを聞いて育ったので、経営者的な部分と教育者的な部分を混ぜたようなものを素地としてもらっていたのかもしれないと思いました。
高校をでて、東北大学に進学して以降は、就職しても東京の寮にはいったので、もう実家に住むことはありませんでした。高校卒業して1年浪人して、大学に入ったのはたしか19歳だったと思います。もうすぐ実家を出てそれと同じだけの時間が流れようとしています。(あと3年で)。
朝、家の周りを散歩して、田舎というのは、長い年月がたってもあまり変わりがないなぁと思いました。駅前のお店や道なんてすごくかわっているわけですが。「田舎の時間」は「都会の時間」とはちがう。そんな特性が、社会にとってどういう形で機能しているのか、興味深いところでもあります。
退屈な田舎を出て、街に出たい。
子供のころは、そう思っていたのですが、今は、仙台という、自然豊かな場所を終の棲家ときめて、選んで住んでいます。やっぱり人の住む場所というのはQOL(生活の質)が必要だとおもっています。
仙台は、適度に自然、適度に都会です。少し行けば緑があふれれ、山も雪山も、海も大きな川もあります。それでいて、政令指定都市として都市機能も最小限のものが一か所にあつまっているので、仕事はしやすいです。東北のみずみずしい自然と環境は、ひとびとの心理面にも、健やかな素肌のような質感をもたらしている気がします。
でも、いつ変わったのだろう。とおもうと、2つあります。
一つは、大学生時代にしった世界のあり方。
ローマ(イタリア)やロンドン(イギリス)に行きました。バックパッカーでユースホステルを渡り歩くような貧乏旅行者でした。しかし世界の都市というとこで見たのは、「ファッション」であり「文化」でした。ローマからみたら、日本の最も都市と思える、東京ですら、「ああ、世界の都市の中では、田舎なんだな」とおもいました。ローマで見たファッションが1~2年後、日本の最先端のファッションとして街を闊歩する。さも最先端!という得意げなマネキンの飾り付けを見て、そうおもったのでした。
文化やファッションは、それでも、90年代の日本は、経済では世界の都会であったと思っていたのですが、現在の日本はそこについてはあやしい気がします。逆に文化要素が、部分的には、先進国の水準にあるきもします。
もう一つが、東京に住んだ経験です。
東京にいた当時、大手電機メーカー系商社につとめていて、虎ノ門・新橋に会社がありました。
母の実家が亀戸(江東区)にあって、魚屋さんをしていました(魚金といって、年末はよく手伝いに行っていました。)その叔父がもっている倉庫にしていた家が近くにあって、そこに数年間住んでいました。「東大島」という都営新宿線の駅の近くで、東京の中でも下町で、江戸っぽい、いい雰囲気のいいところです。
近くには、車で20分くらいで、お台場、などもあって、シティーライフというべきものが享受できました。
しかし、どこにいくにも満員電車、大勢の見知らぬ人の中で生きることは、周りに人が少ない土地で住むことよりも、さみしく感じるものがありました。提供する善意が、無限の空間に霧散すような。
で、都会に住むと次第に「個人で、良くなれれば、それでOK」となってしまう気がしていました。
また娘が生まれて、子供を育てるには豊かな自然環境のあるところのほうが、健やかな知力と精神の発達によい、とおもいました。
そんな経験が、私に生活と仕事の本拠地として、緑豊かな仙台を選択させました。
大分脱線しましたが、久々の実家に帰って、自宅の神社を拝み自分の原点を再確認してきました。
ちなみに、自宅の敷地内に、神社があります。「力松稲荷」といいます。京都の伏見稲荷山の力松稲荷さんの分家的なもののようです。父が事業を数十年前に行うに当り、頂いてきたもののようです。「のりと(祝詞)」や「お神酒」ということば家の中に自然にある、そんな家でした。決して神道、というわけではなく、自分を律するために神様をお祭りする、という姿勢のようですが、そういう物質以外の者に対するイマジネーションというのも、石井家の中の土壌を作っている気がしました。(ちなみに、仏壇もあります。父は、念仏(仏教)も、祝詞(神道)も述べられる変わった人です。)
私が、京都に仕事に行くご縁が多いのは、私の名前の由来である「力松稲荷さん」のおかげかなぁ、と時々思います。
そんな事を、仙台に戻る東北新幹線の車窓をながめて思っていました。