没入感、フロー
時折、ツール開発をしている時に、子供のころにプラモデルに没頭して夜が更けた感覚に似たものを感じます。
気が付くと、長い針が3周もしている。とびっくりするような。
学術的に興味深いなぁとおもう概念があります。
チクセントミハイの「フロー」という概念があります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/フロー
すごく不思議で人間の能力のそこの深さを感じる概念なのですが、ざっくりと言うと『深い集中状態が続き、周囲の情報や状況がないのと等しい感覚になり、自己完結性の高い作業を行う。行動に没入する』ような感覚です。
大人になって久しくそういう感覚ないなという方も、子供の頃、そういうことがありませんでしたか?
私の場合は
・小学校の隣の図書館に放課後いき、気が付くと閉館時刻。
・親から与えてもらった仮設小屋に昼間はいり、電子工作をしていると気が付くと深夜。
・大学生のころ、大好きな作家の本を読んでいたらいつの間にか朝。
という体験があります。
周りの世界が白で塗りつぶされていき、自分だけが再びその場所にいる。ゾーンという言い方もされますが、私の感じるのモノのうち、ゾーンに相当するのは、そういうものだろうと内心おもっていました。私見ですが。
ちなみに、ホワイトアウトの過程で、腹を括っていく、ような部分があります。いろんな関係性や財産や機会を、すべて放り捨てて、目の前の一時に専心していく。そんな気分。
しかし、大人になり、携帯電話をもつようになってから、この体験はできなくなりました。
ところが最近、携帯電話が不調で、電源が落ちっぱなしのことがあり、メールで教授から連絡をいただいたりして気が付きました。
この期間、いく度か、そういう没入感にちかい時間がありました。
さて、先のwikiをみると、昴(すばる)という漫画にそのフローが題材として現れるということで、wikiの昴の説明をよみました。説明を読んで漫画が読んでみたくなりました。漫画作者は曽田正人氏。あの「め組の大吾」の作者さんなんですね。め組の大吾を読んでいて、深い没頭感を伴う心理状態や震えるような情熱を刺激されるきがしましたが、フローというテーマを描き出す方が、そのめ組の大吾の作者だと知って、なぜか納得というか、そういうのは収まりがいい、と思ってしまいました。言い難い納得感ですが。
長くなるので、改め書こうと思います。
wikiのフローの説明ページの「フロー体験の構成要素が存在する。彼は8つ挙げている」「グループフロー」のあたりに列挙されていることは、たぶん、ブレインストーミングの促進要因を引き出すための、学術的な視点や道をあたえてくれるものになるだろう、と直感的に感じました。
科学は、こうした直感を、検証方法のある仮説に昇華し、検証を経てあたらしい知識が構築されます。ブレインストーミングのプロセスを研究する立場から言えば、そういうことを、はっと、感じて、こうしたメモを書いてみました。