京都は私にとってゆかりの深い土地です。
京都は私にとってゆかりの深い土地です。
QOLを求めて、私は仙台を家族と暮らす場所に決めて住んでいますが
名前の故郷?として、私が好きな街に、京都があります。
名前の故郷というのは、私の名前「力重(りきえ)」の力が、京都の伏見稲荷さんに由来しているからです。
父・龍輔が千葉で事業を起こす時、敷地の中に神社を作りました。自宅に神社があるというのは大人になって分かりましたが、珍しいことです。中小企業だと会社に神棚のあるところがありますが、その凄い版、というべきものです。
京都の伏見稲荷さんに、力松稲荷さんという大きな神社があります。伏見山には沢山の神社があり、その中では非常に大きいものです。その分家というべきなのでしょうか、千葉の実家の敷地の中には、その「力松稲荷さん」の小規模なお社が立っています。
父は生まれた男児にその名をつけました。
長男である私に「力重」。弟には松の文字が含まれています。
子供のころは、年に一回、千葉から京都に出向いて、お参りをしていたので、京都という街の空気は、第二の故郷に近い感じがします。
不思議ですがご縁ですが、今、私の仕事では京都の案件が結構あります。子供のころからの知人による仕事、ではなく、まったくの偶然ですが、なぜか、京都の案件が結構あります。
京都に来たらば、早朝には、伏見山にのぼりたいと思っています。
かつて東京の商社にいたころ、京都の堀場製作所さんが仕入れ先さんで、京都に来た時も、あいた2時間で伏見山にのぼって(しかもすごい夕立でスーツ・鞄がずぶぬれになりました)いたこともあります。そのころは、仕事で悩み多き時代だったので、なんだか吹っ切れたような気持ちがしました。
いまはずぶぬれになってしまうことは一寸避けたいですが、ただ、自分の中でいろいろと答えを探していることや、気持ちのけじめをつけたい時、手を合わせ、心の中がシンとする、お参りの瞬間(たぶん、10分近く、ただただ、目をつぶって手を合わせているその時間)が、忙しい日々の中で、自分の基準点をいつもくれる気がします。
自分の中で変わってゆくべきもの、変わらずにいるべきもの、をいつも京都(の伏見稲荷さん)で確認しています。
私にとって、京都はそんな、ゆかりの深い土地です。