京都×ブレインストーミング
京都の夜は、誰かと会ってブレストしたり、一人ブレストを深夜までしていることがすごく多いです。
今日は、KGCの柴田さんと会食して、いろんな話を聞かせてもらいました。ああ、たのしいなぁと、のびのびとした気持ちで、発散思考をたのしむ一時でした。
(私も時々、人からそういうコメントを頂戴して嬉しく思うことがあるのですが、その意味が、気持ちレベルで、ふと分かった気がします。こういうことって、すごく価値がありますね。数字や金銭ではかれない、記述できないものごとなのですが。)
柴田さんの語る姿を見ていて「流れる川」を思いました。
流れる川の流れには、再び、同じ水はない。
前に見た水とは全く別のものが次の時にはある。
しかし、川の流れという存在自体は、ずっと変わらずそこある。
そういう「流水」という「不変の存在」のような、人だなぁと思いました。
また数年後にきっとお会いすることがあると思うのですが、今日の話とは、「そこを流れている水は全然違っていて」そして「流れ」という存在としては、一部の揺るぎもなく、その存在を保っているのだろうと思いました。
京都。
日の明けたこれからの今日は、京都精華大学でブレインストーミングとか、お話づくりのアイデア創出のメソッドの、講義(というよりワークショップ)です。
京都にいると、その大半を、クリエイティブな人との接触か創造支援の仕事をしています。
いつか、遠方の支社的オフィスをつくるなら、京都のあたりがいいなぁと、京都に来るたびに思います。それはなかなか難しいとしても、いつか、どうにもアイデアが出ない時があったらなら、ペンとお財布だけもって、京都にいって、昼夜きままに、人と会って、考え事をして、リフレッシュしたいなぁとおもいます。