何も、無い?
ふと、思ったことです。
「ああ、何もかも、上手くいかない。」そんな心理のときってありますよね。つかれたとき。寒いとき。お腹が減ったとき。
そういうときに、「自分には、何も、無い。」という単純化されたフレーズが、そこはかとなく、あうような気がして、いってみたくなります。
でも良く考えると、古い知人の中にはいつでもサポートするよ、という人がいたり、助けたことのある人は恩義に思ってくれていたりしたりします。結構持っているものを良く見てみると、いろんなことがまだまだ、出来ると気がつきます。
そして、本当に何一つ無い、と言う状態がかりにあるならば、その状況は、幸運です。
なぜなら、「作るための、不在。」があるから。
多くの人の「箱」は、半分とか、満タンにちかく、はいっています。作る、という局面においては、多すぎる荷物は、じゃまだったりします。ざらららっと、全部出して、すっきりとした「入れられる箱」がいります。
「作るための、不在。」
これは、アイデア創出でも、戦略論でも、デザインでも、時折みられる「好材料」だったりします。
「何も、ない?」
と心にたずねて、「たぶん。」と答えるようならば、その時は、「ならば、今、作るための機会が、在るんだ」と、解釈をひねります。
言い換えてみる。そうすると、ちょっと、打ち手がみえてきたりします。人間は、同じ状況を、別言葉で表現することで、別のことを想起したりします。それを積極的に使うというのは、お金と時間もかからない良い方法の一つだと思います。
ふと、いろんな記憶やアイデアが頭の中で、一連の構造化概念を形成して、そんなことを、おもったのでした。
ちなみに、人は、つらいときには、そういう理屈くさいことは、ほとんど考えませんよね。ブログにかいておくと「あのころ、そういえばそんなことを、考察したな」と振り返れる良さがあります。