要とは、それが取れると価値がゼロになるもの
東京時代からつかっているセンスがあります。多分、就職した最初の夏に実家の母にかったものです(でもいらないといわれて自分で使っているもの)。思い起こすと、、、ああ、それは1999年です。もう12年たったんですね。
それがついさっき、手元でばらりと分解しました。扇の「要」と呼ばれる部分がはずれてしまったのです。もとにもどして要の部分をゆびでおさえてあおいでで見ましたがあまりうまくありません。指にひどく力がかかり、腕の力も伝えにくい。扇の要とはこんなにも力を一転にかけて、全体の形をつくっていたのか、と、すこし驚きました。普段はたんなるぽっちでしかないし、風も起こさない部分なのでぞんざいな扱いですが、その言葉どおりこの道具にとっての要でした。
要がはずれて初めてわかりました。
要とは、それが取れてしまうと価値がゼロになるもの、だと。
肝心要(かんじんかなめ)、ということばがあるときに、「そこポイントだよ」「大事なものだよ」というぐらいにつかっていましたが、「要」というのはもっとずっと重要なものなんだと思います。
逆に扇にすこし穴が開いたり、骨が1つぐらい折れても、急に機能がゼロにはなりません(美的な価値は急速にゼロになるでしょうが)。要というものはそういう「部分」や「枝」とは違うんですね。かけたとき、決して何かで補うことができない存在、でもある。そんな風なことを思いました。
人々の構成する社会。組織。その中で要となるものは何だろう。普段はめだって機能を有するように見えず、しかし、何者にもとってかわることができず、それがかけてしまうとその集合体の価値がゼロになってしまうもの。そんなものが「組織の要」なんでしょうね。