最近の私のツイートから
ツイッターでいろんなことを書いています。後でまとめるつもりのものもあれば、質は量を生むと思ってくださらないことをいろいろと書いたりしています。目的が後から出来る珍しいタイプのツールですね、ツイッターは。しかし、遊びというのは本来そういうものかもしれません。さておき。
今日のツイートでこう書きました。
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重いカバンから全部出し、要るもの一つで進むのも、必要。積んどくの本、受信箱の地層のメルマガ、作りかけの作品。みんなみんな箱に放り込んで、一つをつかみそればっかりやる。リセットってのはそれでいいんですよ。手ぶらになったらその内情熱の羽を再び感じる。作りながら道をゆかん。
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いろんな人の思いや目線や何気ないつぶやきやテレビの感想をみていて、そんなことをふと思って書いたのでした。特に誰にというわけでなく、しいて言えば、袋小路に迷い込んだときの自分に向けて、今、言っておく。そんな感じでしょうか。人は鏡。いずれ自分がその場所に立ったときに欲しい言葉を今言っておこうという妙な意図ですが。