2月25日にその場にいた人々(FBアイデアワークショップの開催報告)
2011年2月25日。
震災の半月前のこと。昔からのごく親しい人々とで、アイデアワークショップをした時があります。ずっと書こうと思っていた開催報告です。今書きます。
場所はFiveBrigde(ファイブブリッジ)。
仙台僕らの周りではFBといえば1.ファイブブリッジ。2.フェイスブック。という辞書が頭の中にあります。
この場所はNPO的なところです。ソーシャルベンチャーとしての性格を持つデュナミスの地域やソーシャル的な部分がずっと前に具現化したところ。名ばかりですが、私もファイブブリッジの理事の一人です。
その一環で、毎年、年度末頃に、ファイブブリッジでのアイデアワークショップをして、その開催費用を運営費に充ててもらっていました。
今年も、それをやりました。
いま、想うと、このメンバーというのは、その後の復興期の仙台で鬼のように動いていくメンバーたちなのです。多分、僕が一番、動いていないぐらいでしょう。
写真をアップして、しみじみ思うのは、平和だった時代、ここに集う人は皆、楽しい未来を仙台に作りたいと思っている志しドリブンの人々だったと、今思います。
その横が、レムールさんに河合さん。

奥のテーブルの中央は、言わずと知れた渡辺一馬さん。デュナミスの社長であり、今のこの地域のNPO的復興支援活動の大黒柱。死ぬんじゃないかというぐらい復興支援に向けて働いています。

手前のテーブルには窓際に座っている男性がTDCの小泉さん。復興期のエンジニアの奮起に大いに活躍している中心人物の一人です。
この日のアイデアワークショップは、平和だった時代に、私が行った最後のアイデアワークショップでもありました。旧知の仲間たちと、いつもの時間でどんどん進める進行とはちがった、ゆっくりした安寧の空気の中で行ったワークでした。
この日の様子は、山田さんがブログに書いてくれています(多謝です!遅くなりましたが)。
http://yamada.da-te.jp/d2011-02-26.html
その夜、みんなで飲みに行きましょう、ということで、畠山さん、一馬さん、山田さん、そしてワークショップ終りに駆けつけてくれた、津田君と、私石井で、周平へいきました。
津田君は、三陸おさかな倶楽部の津田君。のちに、故郷の石巻が丸ごと流されて、経済復興に向け、彼もまたえらい活躍をしていて、つい先日は、国会の場でも津田鮮魚店の名前が出て、今朝もフジテレビに長く出ていたそうです)
津田君がオーダーしたフライ。え、こんな夜中に、えー、1人一個もいらないでしょう、、と思いきや、これが激ウマで、わいわいいって食べました。中身は思い出せません。

地元仙台で私が飲み会に行くのは、珍しいのですが(翌日ワークショップがあればマイルール的にお酒が飲めないので)、この日はなぜか、みんなでゆっくり飲みたいな、と珍しく私からみんなを誘って飲みに行きました(そして終電がない)。
なんというか、いろんな意味で、震災前の最後のアイデアワークショップが、ここで一区切りしたんだな、という日でした。変わってしまう前に居間の時間をもう少しだけ楽しみたい。この日が終わってしまったら、次のステージへ、1つ段階を自分自身が上がろうとして、それはワークショップに限らず、いろんなものが、変わり始める、そんか気がしている夜でした。
その変化が、まさか地震だなんて微塵も思いませんでしたが。
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アイデアワークショップの開催報告としても、きちんと、ここから、書きます。
ワークショップでは、テーマ設定ワーク、というものをやります。効果的なグループワークができるように。
FB_iws2011_テーマ設定ワークでできたテーマリスト.pdf
この時のテーマを見ると、当時の仙台・宮城の企画的な人々の意識が垣間見れます。ほほえましい、テーマも結構あります。
進行スライドは、こんな感じでした。
最後には、「一年前のワークショップへの回答」を入れました。
こんな感じの盛りだくさんの内容でした。
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来年の2月頃、また、ファイブブリッジで、このメンバーでアイデアワークショップができるだろうか、と思うと、最後の飲み会は、ある意味、予感だったのかなぁと思わなくもないです。皆、疾走していく日々をおくっていますからね。この時代の友人の一人は、今日から、シリコンバレーに修行に行きました。かつてそこに集っていたメンバーが、大きな歯車をあちこちで回し始めた時期。それが、震災から3~4か月、という時期なんだなぁと思います。