査読を完了(まるまる一か月)
ひと月前の朝、フィンランドにむけて仙台を旅立とうとしていて、ふとポストを除いたら、査読依頼の封書が入っていました、とその頃のブログに書きましたが、あれからちょうど一か月たった今日、論文の査読をついに完了して、速達で学会に送り返しました。
この一か月の間、この封書はずっと旅かばんにあって一緒に旅をしてきました。15,000kmぐらい。
なんども、なんども、読んで、主題とアプローチはどこまで適切であるのか、こまかな語彙のタイプミスなのか、本質的な意味を持った特殊表現なのか、など、つぶさに調べていきました。そして、自分が付けようとしているコメント案も、推敲し、余計な指摘をしていないか、をチェックしたうえで、論文にコメントを清書していきました。
日本創造学会、というクリエイティビティの学会は実は歴史が古く、創設30年を経た老舗学会です。初代会長は、KJ法の創始者である川喜田二郎先生、という日本の(この界隈の)スター選手たちが作り育ててきた学会です。
私はその学術コミュニティーの中では末席にぎりぎりおいてもらっている身であり、知識も能力も査読者としては充分ではないかもしれないと思いますが、依頼をいただいたからには、きちんと読み込み、内容を執筆者と対話できるレベルまで理解し、そのうえで、コメントを付けました。
査読はこれで二度目ですが、やってみていましみじみと恩師を振り返り思うことがあります。それは「指導教官というのはなんと大変な活動だろう」ということです。
他者の研究をゼロから理解し、対話ができるようになり、そのうえで、主題の適切さや、アプローチの正統性や限界について理解し、研究結果とその考察への妥当性や、発展的な視点からのコメントをする。そういう活動を毎日、指導教官はするわけです。特に、デリケートな知性がいるなと、強く強く感じたのが、査読者なり指導者なりは、異なる思考を持つ他者ゆえに「意見の相違」はある、という点です。
考察の部分では、なにか言うべきコメントがあったとしても、次の二つに分かれます。一つは「意見の相違(研究者と指導教官の)」というべき範疇のもの。他方は「アカデミアとしてもっている一定の公平判断の基準に照らして、妥当性を議論する」という範疇のもの。もちろん、後者だって、その時代その時代で移ろいゆく、いわば、共同幻想をそうとうスマートにしたみたいなものではありますが、一応はあるわけです。
自分が2度の博士課程を進んだ時に、どちらの指導教官も、僕の考えや考察について、議論相手をしてくれたとき、裏側ではこうして大きな思考を回していたのか、と思い至り、そんな気持ちになっていました。
査読にひと月もかけるものなのか、僕にはわかりませんし、僕はたぶん、メインのレフリーではないと思われますが、それでも、引き受けるらからには、きっちりとした仕事をしたいなぁとおもって過ごした一か月でした。それによって、上記のようなことを、気づくことができました。
(ただ、今以上に仕事がひっ迫している時期には、査読依頼はうけられないな、とも思いました。”締切ぎりぎりになって、適当にやってしまうだろう”という予感がたったなら、きっちりお断りすること。それも大事なことである、と未来の自分にメッセージを残して筆をおきたいとおもいます。