うさぎ経済モデル2(社会構造の熟成編)
一年前のうさぎ経済モデルの続きを書いてみます。経済や社会構造はどうなっていくのか。そんなことを模索しつつ。
前回のうさぎ経済モデルは、いわば”経済の誕生編”でした。今回は”社会構造の熟成編”です。
村人A,B,C,D,E,Fの村は、人口がとても増えました。年々若い世代が子供を生むために、長老層となった初期の村人6人は、十分な食物と富を楽しむ生活をしていました。若い世代が上の世代を食わせる。そう、長老(村人A)が決めました。このモデルはどんどん人増える中でずっとうまくいくように見えました。
実は長老にはある心配がありました。人口が増えてもうさぎの数が増えないと、飢える日が来る。そうおもったので、あまり無制限に人口が増えることを危惧していたのでした。
しかし、あるときから、あまり子供が生まれなくなりました。長い年月にわたってずっと天気が悪く、植物が細くなり、うさぎも前よりもずっと取れなくなってきました。食べるものが十分に無いので、若い世代もあまり子供を生まなくなりました。この傾向が長い間続き、村には、長老層となった者たちがおおく、現在の働き手である若い村人は、苦しい生活をしていました。上の層を食わせる。という長老のルールは、ひとたび上と下の数が逆転すると、苦しいルールになりました。若い世代は、十分に狩をしてうさぎをとっても、子供を育てるのに十分な食料を得られません。
気候は回復し、うさぎの数もふえましたが、若い世代は沢山とっても、長老に謙譲し再分配されると、あまり手元に食べ物が残らず、子供をなかなかうみません。こうして、ひとたび逆転した村では、人口は減少傾向がつづきます。
長老は、いいました。長老層も狩に出ることにしよう。本当に一部の長老層をのぞいては、出来る限り食料を確保する仕事に貢献し、村の食料総量を増やそう。そして、若い世代に沢山たべものがいくようにしよう。村の未来のために。
昔ほどではないにしても、狩にでた長老層は、食べ物をとり、村の食料はふえました。次第に子供も生まれるようになりました。長老は、わかりました。なにかあってバランスが崩れたときに、村の成長傾向のときのモデルでは、その崩れは増大するのだ、と。
それからはこの村では、一定の年齢になったら、長老層になって、楽をする、というルールをやめました。
これから子供を生む世代に、食料が沢山行くように、いろんな世代が狩をして食料を確保するようにしたのです。
子供が増えすぎる時期が来るとまた、過去のルール、を採用しました。
こうしてこの村は人が増えたり減ったりしながら、長い時間でみると、安定した人口変動をとっています。
生物は増えすぎると、子供を生まなくなったりして、個体数の急増を防ぐようになっています。高い文明を身につけた村人たちは、そうした生物の摂理を自然と村のルールにしていったようでした。
なお、村人たちは長い年月をかけて、大きな災害などで全ての富を失うことを何度も経験しました。蓄えていた食糧、狩の道具、薬草、勾玉、玉、などなど。それでも、それまでに身につけた知恵は、人がいればのこりつづけ、試行錯誤でつくってきた初期のころよりもはるかに早い速度で村は復興します。人がいる限り、伝えられている知恵がのこり、文明が再建されました。
これらを通じて感じたことを、シリーズのまとめとして、別途、述べたいと思います。