失敗をしても、たのしい、をとる。
今日は、ふと、一年前に書きかけていた文章に続きを書いてみました。失敗しても、たのしい、をとろう、という話です。
失敗してはいけないと思った瞬間から
その作業はおもしろいことから、
めんどくさいことにかわってしまう。
「夢を追い求めるプロセス」として、始めたことが、
いつのまにか、「日々の糧を得るための作業」に変わってしまう。
「楽しむために作り出したもの」が、
いつの間にか「続けるために苦しむもの」に変わってしまう。
そんなことって、誰にもありませんか。
変質してしまった夢のカケラから、「失敗してはいけない」をたくみに摘出できたら、夢が夢として本来の輝きを放ち始める。根拠は薄いですが、私はそう感じます。
リスクをとらないことがもっともリスクだ、という言葉もあります。この言葉の意味するところは「社会は常に変化していく。変化をしないでいることは、いずれ生き延びることができない存在になるということ。」だと、おもいます。しかし、すこし違った視点で、次のようにも解釈できるかもしれません。
「失敗する可能性のあることを一切排除して進んでいこうとすれば、未来に託した希望はいつのまにか変質していく。」と。
そういうことは、実は多くの若者の悩みに見られます。状況と人を変えて同じエッセンスがみられます。
そういうときには、カラリと気分を変えて、ゼロ(自然体)で考えてみたいものですね。
「失敗をしても、たのしい、をとろう」と。
生涯を生きて、自分の寿命があとわずかというときに「しまった、わしの人生でやりたかったことが別にあった」と気が付く、なんてことがあったら残念ですよね。「(色々失敗して、迷惑もかけたけど)ああ、満足だった。わが人生、悔い無し!」と笑って、人の世にすむ日々を終えられたら、最高の生き方だなぁ、と思います。