思い浮かぶは大鍋の中の一葉
大きな鍋が頭の中にある、そんな風に思うと雑念や発想のことをうまくモデル化できると、最近思います。
大鍋の中には、透明度の低いスープと、アイデアの断片や何かの記憶が無数の葉となって入っています。
スープはゆっくりゆっくりと循環しています。循環するにつれて、葉っぱは鍋の表面に浮いてはしばらくすると沈んで行きます。
人間が何もしていないときに、何か雑念のような、必要のないタイミングで何かを思い出してしまう、というのは、この「鍋の表面に浮いてきた」こと、としてモデルでは説明できます。
次にアイデアが思いついたとします。同じく表面に出てきたんですね。なかには、あ、これ、前も思いついた、というのもあります。不思議なことに、アイデアをすぐに書き留めたりしないと、風呂からあがったらもう忘れて思い出せなくなってしまった、ということがあります。これは、アイデアは滞留時間が短くて、もう下の方にしずんでいる、とモデルでは表せます。
スープは濁っているので沈みかけてしまったら見通しがきかず、捕まえられません。記憶の海に沈んだ、とも。
鍋の開口部の表面積は限られています。雑念の葉っぱがたくさん浮かんでいて、あまり隙間がなくなると、アイデアの葉っぱが浮かんでくる余地が減ります。
一番手っ取り早いのは、葉っぱ(雑念、アイデア、両方とも)を救い出してやること。そうすると、また表面積いっぱいに葉っぱが浮かんでこれます。モデルとして説明するならば。
これは、実際の人間のする作業としては、思う浮かぶことを、断片的でいいので、次々書き留めて、紙にはきだしやること、なんです。
アイデアを出している時に、つまらないと思ったアイデアを、出さずに忘れようとしている時に、モデルでは、葉っぱが表面積を次第に減らして行っている、ということになります。そういうものはどんどん出してしまうに限ります。つまらないな、と思って却下したら、そのアイデアは書き出して、すくいだしてしまいましょう。
なにか、出にくい。とおもったら、思いついたことを出さずによけているかもしれない、とおもってみてください。思い当たる節があれば、それは、すくいだすべき時です。
思い浮かぶは大鍋の中の一葉。
そんな意味合いを込めて、今日のタイトルをつけました。
追記:
最近、連載原稿を書くようになって、あるいは、講演を行うようになって、とみに思うのですが、アイデアマラソンをつけている人は、そういうときに相当にらくだろうな、ということです。私は樋口先生のいうノートは使いませんが、アイデアマラソンに似たことをしています。名刺サイズのカードに思いついたはじから書きとめて、アイデア専用の名刺フォルダーにそれを入れていきます。たいてい毎日数枚は書きます。この二年ちょっとで、それらが今は2000枚以上あります。(後で見返したいものだけのストックで)
本当にアイデアマラソンをしている人ならば、過去の自分がおもいついたアイデア(大鍋の中の開口部に浮かんできた葉っぱ)を膨大に標本している、ということになります。これはすごい。頭の中の奥の方にしずんだら、なかなか発想法をつかってもひきだしてこれませんが、紙という外部記憶装置にだしておけば、肉体的な動作(紙をめくる)だけで、その過去の葉っぱを引き出すことができるわけです。人間の頭に検索装置がつくような未来がくるまでは、こういう過去の葉っぱがストックできる方法は、大変有効なほうほうだなぁ、と思います。