創造的な人のある種の人は、記憶のアンカーが別のところにある
今日、いろんな連絡をしていて、あるいはもらっていて、創造的な人のある種の人には、「人の名前をいい加減に覚えている」という傾向があることに気が付きました。
私もそうです。
名前を聞いても最初の漢字1文字しか、その人を見ても思い浮かばなかったり、下の名前をカタカナで表記した文字しか浮かんでこないことがあります。なので、あって早々に下の名前で呼ばざるを得ないことも(笑)。
社会人としてそれはどうなのだ、という部分もあるのですが、私も含めて彼らは「相手に興味がない」のではなくむしろ相手のことを、その存在のまま理解してて、名前はその人の周辺属性の一つ(たとえば、しし座、とか、千葉県生まれとか)と同じ扱いなんですね。
相手のことを、名前というタグに抽象化しておぼえることはしないので、逆に「名前適当」という状態になるのかもしれません。
僕はそれを愛すべき人格だ思い、そういう人が本当は人について深く興味を持っていることを感じ取るので、好きです。
僕のことをいつも「おい、石川」とよぶある業界のドンがいますが、それもまたたのし。「石井ですよ、石井力重です」と毎回訂正するのも、悪気がないと思えば、楽しい会話ですから。
補足:メール署名欄が毎回違う(手書きなので微妙に違う)ということもあるみたいです。