『あたりまえのアダムス』Obvious Adams
大学院のゼミで『あたりまえのアダムス』を読みました。
今回は指導していただいている先生自身が書を選び担当されました。
『チーズはどこへ行った』にたタッチです。
(出版年的には、あたりまえのアダムスの方がずっと古いですが)
有名な書籍『ザ・プロフィット』には毎章、推薦図書があります。
この本もその一つで、前から読みたいと思っていました。
指導教官は、その推薦図書の書籍や論文をすべて集めていて
(2つほどどうしても手に入らないものがあったそうです)
このあたまりまえのアダムスを選ばれたそうです。
話しとしては、どこかにカチッとしたヒントとなる概念要素が
でてくるわけじゃなく、
「あたまりまえ」のことをするストーリで、
なるほど、という感じで、主人公は難局を乗り切ります。
なんとなく、”山口六平太”を想起させます。
難しい問題(依頼)が来ると
彼は特別戦略的におもえるようなことはせずに、
「わかっているけど手抜きしがち」な作業を
きっちりしあげていくという
基本的行動を繰り返します。
ざっとまとめてみるとこうなります。
「あたりまえのアダムス」の基本行動
1.現場へ足を運び、現物を五感でしっかり知ってみて
時間をかけて充分に情報を集めます。
2.分析して、充分に理解します。
3.問題を見つけます。
(あるいは、顧客価値にもとづいた価値を発見します。)
4.その問題を解決する方法を、考えます。
5.自分の手で解決案としてのプロトタイプを作成。
もしくは、解決プランを提案。
こうなっているようです。
普通の人はどうでしょう。比較してみます。
「1.」について
忙しい、といって、現場を見ないでもらったデータだけで
判断を下しがちですね。『効率』の名のもと、不出来な案を量産しています。
「2.3.」について
これも、省略しがちです。
でも、何か問題であるのかを考え抜いていくこのステップを
飛ばしたら
「山がない(問題がない)はずの地域(議題)で、
攻略の攻め口はあるのか、ということを必死に考える」
ことになります
「4.」について
普通の人、切れる人は充分にやっているでしょう。
ただ、2.3.がなければ、山のない所に登山計画をたてて、
実行する、という事態が起こり得ます。
戦略は正しかった、しかし、そもそもの依頼(問題設定)が
まちがっていた、なんて山ほどききまよね。
「5.」について
やはり重要ですが、普通の人はなかなかしません。
仕事が発注されていないのに、コピー(文章)や
デザイン(パッケージ)を作成してみるひとは
なかなかいません。
アダムスは、(いわばIDEO的な)ラピッドプロトタイピングを
して、それがピンチの上司の目にとまり登用されたりしています。
仕事の手順を改善する提案では、
改善効率まで計算しています。
この場合も業務設計を、すでに提案段階で
仔細にしているはずなんです。
アイデアが構造体のような緻密さをもった段階まで
昇華されているんですね。アダムスの場合。
以上、ざっと普通の人と比較してみました。
そうすると、「考える」という行為をかれは深く行っている点がアダムス的パーソンには必要であると分かります。意志の力を持って何度も深く構想や試作で検証のプロセスを、準備段階で、頭の中であるいは、紙の上で、回しているでしょう。創造的努力をしているはずです。
もうひとつは、「現場を見に行き」何度も何時間もそこを自分の足であるいたり、プロモーションするべき商品を、派生市場までふくめて集めて「自分で味わい」ます。製紙会社では、紙の製造プロセスをわかるまで現場で知ろうとして理解しています。どれも依頼の時点で、対象の概要はレポート数枚になっているはずですが、文字に要約されたテキストラインの間から漏れ落ちている部分を拾いにいくことから、始めます。
そんな、するめいかのような、じっくり淡いヒントが醸される、そういう良書でした。
余談
しかし、この日のゼミは、先生が担当されたこともあって、ある種の空気がありました。
ゼミが始まり、「この本、どうおもいました。石井さん」
そう、何の切り口も議論の視点も出される前に、問いかけられて、私は感じた事を素直に言いました。
「あたりまえのことを、当り前にしっかりやる。そうすることで難局も開かれていく。しかし、それはわが身に振り返ってみれば難しい。そういう教訓です。」
と。そのあと、ゼミでのディスカッションは重たかったです。経営学の書籍は大抵は、特徴的な概念が出てきていて、それが既存の概念でどう解釈されうるものか、新しさはなにか、その有用性はなにか、をゼミで議論して、その概念の発展的な枠をえて、思考の栄養をえるわけです。今回は、「あたりまえをしよう」という平易な内容の中に「この概念要素がポイント」といって説明するようなことができないものでした。なのでみんな勝手が違いました。
ちなみに私の所属ゼミは、
教授、外国の方2名、産学連携部門の先生(工学博士)1名、博士課程2名(石井含む)
という構成で全員が以前に企業に勤めていた(あるいは企業を休職して留学)という方で、ディスカッションも大変な水準にあります。それでも今回は、みな、重かったようです。
あたりまえ、を、あたりまえにやる。ただそれだけ。という見方をするよりも、私は「なぜ、この本が当時大ヒットしたのか。この本の中にあるものは当時の経営者を魅了した。何をこの本から感じ取るべきだろうか」と思っていました。
そんな背景とゼミでの思考をとおして、この前半部にまとめたようなことを書いてみました。
脱線:
「山口六平太」は、「なぜか笑介」と同じくらい、サラリーマンの教科書ですね。前者が総務、内勤系ポジションだとしたら、後者は営業系ポジション。
山口六平太のテイストがわかる動画がありました。
Youtubeの、なんと法務省のチャンネルです。
http://www.youtube.com/watch?v=gJczch3mYGk
裁判員制度を山口六平太で、解説されています。