伝えたい思いがある。それを大事に。
講演をする人には「伝えたい思いがある。」それが大事なんだと思います。
話すコトバにのって相手に届くのは、テキスト情報だけじゃなく、
情熱とか、テイストとか、ふんわりしたものの中に見出す芯とか、
そんな「肉声」にしかないものがある、とおもいます。
情報とともに、情熱を届けられる講演・講義を望むならば
「伝えたい思いがある」
そういう心の声に向き合って、
自然に紡ぎ出される知と感性的なものを
素直に見つめて、それを聞いてくださる人に届ければよい、と
思うんです。
もちろん、周到な準備や訓練も大切にしながら。
伝えたいという強い思いがない人の講演には、
オーディエンスも「その時間を楽しむ」レベルには
限界がある。そう思うんです。
聞いてくれる方を起点にして、講演内容をデザインする。
しかし、それだけじゃ、不十分なんです。
その土俵の上で、さらに「相手にどうしてもこれだけは届けたい」
そういう強い情熱がなければ、と。
(これは、私見です。石井哲学の一つ、と思ってもらえたら幸いです)
もう一つ、石井哲学について。
教育において大切にしたい事は「はじめに本物を与える」
ということだと信じています。
私はブレインストーミングのプロセスや構造を研究している立場から
よくブレインストーミングの講義を行うことがあります。
多くの人にとって「ブレストを座学で習う」のは初めてなのが
実情です。
彼らが初めて「学ぶ」ブレインストーミングは
僕が提供するものである、とするならば、
それは「本物」とよべるクオリティーでなければならない、
そう自分自身に言い聞かせています。
はじめに本物を与える。
そういう気迫で、教育(あるいは講師)、という仕事をしています。
そして、さらにもう一つ、石井哲学を。
(毎年、誕生日のころは、内省的な文章が出てくる傾向があるようです)
お客さんへの圧倒的な愛情がその製品のフォルムに宿る。
そういう仕事をしたい、といつも切望しています。
聞いてくださる方が、僕の子供だったとしたら、
彼ら・彼女らに、少しでもクオリティーの高い知識を
あるいは、少しでもクオリティーの高い製品を
届けたいですよね。
お客さんへの圧倒的な愛があり
それが製品のフォルムや講演のクオリティーに宿る、
そういう仕事を、今日も明日も、明後日も、
力いっぱいしたいと思っています。