ブランドの形成に関する一考察。(1)
高級品や高い評価を受ける組織・専門家など、「高くても長く使えるいい品」「あそこの仕事なら間違いない」という評価をうける域に達してくると、そこには「ブランド」というインタンジブル(手に触ることができない)なものが生まれてくることが多いようです。
高い鞄などを買う場合に、そこにモノとしてのかっこよさも重要ですが、見えないところのつくりが丈夫・10年先も素敵なデザイン足りえる、という意味での「長く使える」だろうこと。さらに「長く使うことでよさが増していく」「将来壊れても、そのときにお店がきっとあるし、気持ちよく修理に答えてくれる」という信頼感が、かなり高い価格に対する妥当感の醸成につながると思えます。
私が企業に勤めていたときに購入しようかどうかかなり迷った鞄があります。グローブ・トロッターの鞄。青山にあるヴァルカナイズに見に行ったりしました。紙を特殊な素材で固めたいわば「紙」の鞄です。その鞄は散弾銃が貫通しないし人が乗ってもつぶれない、という触れ込みでしたが、そこには実際に散弾銃でうたれた鞄があって貫通していませんでした。カギやヒンジの部分がガタガタするぞ、と触ってみて感じたのですが、理由が分かりました。お店の方に”本当につぶれない?”とたずねると鞄の上にのって飛び跳ねて見せました。鞄はある程度ゆがむけれど、割れたり折れたりしません。この鞄、ヒンジが精巧に出来ていないことで、本体の柔軟さと整合性があるわけです。その当時から数年立ちましたが、デザインも未だに素敵だと思います。長い伝統もあるそうです。結局、当時の私は、書類の頻繁な出し入れが必要だったこと、固めのお客さんをもつ営業マンがもつにはすこしはやいと感じたこと、などから購入をあきらめましたが、もっと余裕のあるクリエイティブな職業をしていたら5万円前後のその鞄を買っただろうとおもいます。(ちなみに、私の住む仙台では、一番町のシップスにあるようです。)
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