おいしく朝食をたべることも、仕事の品質を作る作業
ふと、車で移動中に思いました。
「講演の質がすごく良い時」と「そこそこの時(少なくとも話者は満足してない)」がある。
出掛けに、朝ごはんを食べすぎたり逆に、急いでシリアルだけの朝食にしたり、ということや、出掛けにした家族との会話、朝一の電話の内容。そういったものに影響を受けています。かなりうっすらですが、講演中のぎりぎりの状態で口から出る言葉に、のってくるものは、朝の会話のテイストだったり。
どんなにトラブルがあってもしゃべりとおせるほどに、一つ一つの仕事に事前の準備と練習はしています。しかし、それを超えるレベルのところでは、前日の夜や当日の朝に起こったことも、影響としてあるような気がしてなりません。潜在意識にはいっているインフォメーション、とでもいうべきものが。
その意味では、私は思うのですが、おいしく朝食をたべることも、仕事の品質を作る作業なのかもしれませんね。(極端に短く表現すると、「楽しく朝食は仕事だ」、と。)
シンボリックに朝食、と書きましたが、日々の生活全般がしかり、です。
楽しく暮らすこと、豊かな気持ちで仕事相手と会話すること、なにか役にたつ社会活動をして誰かがすこし助かり、その姿を見て自分が満たされること。そういうこともごくわずかかもしれないけれど、仕事の品質をつくっているのかなぁと。
そう考えると、机の上が乱雑であったり、乱れた生活時間(徹夜3日して12時間寝る、など)とかは、仕事の質をあれさせるものであり、プロとして、意識が十分ではないのかも、とわが身を振り返ります。
最近は、夕方に1時間ほど歩きます。距離にして4キロ。講演の前の日が忙しいとそれを短くしてしまうこともあるのですが、それでは翌日の調子が(ちょっと)変わってしまします。ストイックさは加減もいるはずですが、ただ、忙しい時ほど健康になるための時間を変更しないでやらないといけないですよね。
そんなわけで、「朝ごはんをおいしく食べることも、仕事の品質」だし「机の上がいつも人に見せらる用に整理整頓されていることも、仕事の品質」なんだ、仕事の品質を作るのだ、と、ふと、おもったのでした。