荷物が多すぎるとき、人は、価値を維持して物体を削減しようとする。
人間の心理のひとつにふと気がつきました。
荷物が多すぎると、人は動きにくい。
手のひらでつかんでいるものならば
放せばいいとわかる。
概念的な保有物(知識)とかになると
いつの間にかたくさん貯蔵してしまう。
前者も後者も、
人を動きにくくさせるものではある。
豊富すぎる経験、知識。
それはいい面も極めて多いけれど
人の動きを重くしていく面もある。
(人は忘れる。これは、記憶を概要化し、動きやすくする機能を有す)
さて、もの、について。
買ってきたものをあけて、外箱をバリバリと捨てて
中身だけを持っておく。
箱まで保管することは、少ない。
本がたまると捨てるか売るかをしないといけない。
裁断して、スキャンしてPDFにしておく。
そういうニーズも社会的に高まっている。
手に触れないタイプのもの(インタンジブルなもの)も、
手に触れるタイプのもの(タンジブルなもの)も、
発展の初期段階時期をのぞき、
「多すぎる荷物を、減らして、動きにくさを抑えよう」という傾向がある。
整理すると、
1)物や知が多すぎると、心理、思考的、に、重たくなる。
2)重くなると動きにくくなる。
3)無意識の内に、動きやすくしようとする気持ちができる。
4)可能な場合は、価値を維持して、何らかの削減を図る。
ちなみに4)は、可能じゃない(もしくは、荒っぽい処理の)場合は、「捨て」になる。
一方で、人の心は愛すべき矛盾に満ちているなぁと思うのは
「空間的なサイズに、価値性を感じやすい」という傾向。
クリスマスシーズン、おもちゃ売り場に行くと、
2,000円の商品と20,000円の商品では、
箱のサイズがぐんと違う。
中身だって違いがありますが
20,000円のほうは、開けたときに「余裕」があるのに
気がつく。
また、指輪を入れる化粧箱だって、あんなに大きくなくても、
保護と固定の役目は果たす。
が、開けた時の光の入り具合とか、そういう「体験」を設計したいと
なると、話は別で、持った時の重さ、起毛のてざわり、
ぱかっとひらくバネ具合、しっとりとした暗い色調による
相対的な宝石部分の引き立て、などなど。
その箱、指輪の数だけはとっておかない。大抵は捨てる。
でも、指輪だけ、ぽん、とくれたら、ちょっとやだ。
人とは、そういうもの。
愛すべき矛盾。
人が人らしい部分を、そう呼ぶが、
物の価値を、デザインしようというときには、
そういう
1)はじめの空間的なサイズは大きい。
2)「入手初期の体験」が「物」を包んで全体の価値になる。
3)所有後期になると、価値を維持して、物と空間を削除したくなる。
そういうものかもしれない。
ふとそうとおもったのでした。