人に残念さを覚えたら戒め、人に魅力を覚えたら自身を信じる。
ふと先日、「人は自身の鏡である」という言葉ををも出だしました。人は自分の心を映す鏡、と子供の頃、教訓を見て、「そんなばかな」とおもいましたが、大人になったのか、その文章のしたにあるものに思い至りました。
子供が良く似たしぐさや考え方をすることは、親子であればほぼ当然に思えます。
人間も同じ骨格、同じ感覚器、同じ頭脳を持っていると、同じ種類のインプットに対して、沸き起こる感情は、大体一緒でしょう。基本OSが同じものが乗っているだけですから。
その意味では、相手がなにか良くないことをしているときに、一定のインプット系統に対して、基本OSが、そのようなアウトプット(対処)をしているのをみて、自分自身も同じことを、そこでする可能性があるのだ、と、戒めてみるべきかも知れしれません。
良いことをしてほめられている人を見たなら、ねたみ、そねむよりも、自分自身にも同じ可能性があるのだと、自分自身の可能性をもっと高く評価するべきだと思います。
1万人部下がいる。そういう人も、会えば、普通の人なわけで、腕がたくさんあるわけでもないし、しゃべる速度が普通の人の10倍早いわけでもない。思考速度は速いですがそれだって10倍早く考えられているわけじゃありません。人間の基本性能の違いは、他の生物との違いに比べれば誤差範囲。犬やサルにも聡明なものがいますが、しかし、その範囲での違い。
なので、基本的に、人は似ている、でしょう。
僕がしたくなることことは、他の人もそうだし、したくないことは他の人もそう。
人の中に、足りない部分残念な部分を感じるのも、長じた部分やすばらしいと感心できる部分を感じるのも、最終的には、自分のかがみ。
人に残念さを覚えたら戒め、人に魅力を覚えたら自身を信じる。
そういう風に考えてみると、いろいろと対人の営みが面白いです。
基本的には、相手に希望を見出すような、日々を。