イキカチカク(閾下知覚)と、セルフ動機付けツール案
「いきかちかく。」
この言葉、急に聴いても「え?なに、いき・・なんだって?」と
なりそうですが、認知心理学事典に出てくる面白い概念です。
閾下知覚、言葉を分解すると、意味がとれますが、
「閾値(しきいち)」よりも「下(少ない、小さい)」の
刺激を「知覚」している、こと、です。
たとえば、音。
音量には聞こえる音程、音量があります。
それをこえる(はずれる)とその音がなっていることを
近くできません。
その音は、なっているとは知覚できないのだから
無いのと同じか、というと、実は違うのです。
それは、いま私たちが感じている意識できる部分とは違う、
深層心理のようなところでは、刺激としてうけとっているそうです。
そして無意識のような部分により強く影響を与えるのは
知覚できる刺激よりも、閾下知覚のような、ものなのだそうです。
夢、により影響を与えるのは、閾下知覚のほうだそうです。
こんなのさ、なんか用途あるの?といえば、
あります。
「サブリミナル効果」という言葉を昔よく聞いたかと思います。
映画の中に、商品画像を差し込む。それがとても短い時間の映像なので、
今それが写っている、とは、健在意識の方では知覚できない。
しかし、それは、閾下知覚として、潜在のほうに残る。
その影響で、その商品が売れる。
そういうことが結構言われたことがありました。
そして、それをむやみになるのは、よくないわけで、
映画フィルムなら、スロー再生すると、存在を知られてしまうこともあり、
そういうことがあまりないようになりました。
いまいち、その辺のことが分かっていない状態で
そういう降下を積極利用するのは危険かもしれませんが、
自分自身を御するためにつかうなどの工夫はあってもいいかもしれません。
良い文脈の動画の中に、自分の目標とする理想像を
画像ではさみこんで、目にする。あるいは、
それをつくるのは大変な手間なので、画像を用意すると、
再生アプリ側でそれをやってくれる。
そういうのがあってもいいのかな、と。
(ただ、危険も効果も、自主責任にしかしようがありませんが)
自分のモチベーションを強く持つ、とか、
あるいは、回復期にある精神状態を、常にガイド付けるための
補強剤(骨折したら、直るまで添え木をつけるのとおなじように)
として、あってもいいのかな、とおもいます。
PCのスピーカーから、よい音楽の中に、
閾下知覚の形で、集中や思索と相関の良いなにかをまぜておくとか。
有名な子供向け作品で、
画面の光が反転するようなアニメーションで、
人々は、あまりに画像に激しい変化を加えることは、
あぶないと、知りました。
人間という高次機能の集合体には、
「自分のことだからよくしってらあ」というには
まだまだ、未活用の機能が入っている、そう思うのです。