約束の重さ
自分で決めて、人にしていく「約束」。
自主締め切りを相手に公言することで、自分を追い込み、動かすことが時々あります。失敗や誤りをおそれて、過剰作業をしそうな場合や、他の予定が後に使えていてはやく届けないと、カオスがまっていて、自分も相手も不幸になりそうなとき。そんなときには、きまって、えいっと、約束をしてしまいます。
その約束、相手の期限(的余裕)がまだあるはず、とおもうと、ずるずると、下げさせてもらうことを考えてしまうのですが、その行為は、なにかを損なっていると、その状況になって思います。大抵、伸ばした一週間(あるいは、1日)は、そのままそっくりスライドしています。風邪引き高熱が出たとか、急な事故で対応が必要なったという場合は除けば、自分のやりくり(タイムマネジメント)を変えない限り、その追い込まれの状況を丸ごとコピーした一週間後が待っています。
約束の重さ。
これは、自分との約束が一番、重いんじゃないかなと思うのです。
一番がっかりさせたく無いのは、一番自分を信頼してほしい人=自分自身、なのではないかと。
自分を信じる、とは、すなわち「自信」であります。
信じるに値する自分でいられないとき、自信が無い、という心理になっています。
人生は願わくば、いつも上機嫌で、自信にあふれて、暖かい南国みたいな空気でからりとすごしたいものですが、その自信につながるものは、「自分との約束を破らないこと」なんじゃないか、とおもうのです。
ぐるぐると、トートロジー的なことを、思考の断片からきりはがしてみて、書き留めてみました。
少なくともいえることは、昨日、延ばしてもらった自主的締め切りが、いま、よりつらい体調(より睡眠が不足した状態)で、自分に課せられているという現実。このブログを描くことは、その筆をすべりはじめさせる「助走」でした。
さて、助走、おわり。
寝るのを夢見て、やるべきことを、全力でやります。今。