「価格の粒」×たくさん
ICTにより、人々の価値提供や対価徴収の可能性がかわってきた、と感じることがあります。
ダウンロードして買ってもらうビジネス。例えば本(に相当するPDFファイル)とか、楽曲(に相当する音声ファイル)があります。これを届けるのは電子なら無料で可能です。
ネックは代金回収です。
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通常、取引にはその作業自体にコストがかかります。そのため、ある金額以下の対価は取引にかかるコストを考えると現実的ではない、ということになり、おのずと価格の最少値「=価格の粒みたいなみの」が決まってしまいます。
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支払う人(消費者)としては、その「価格の粒」は小さいほど歓迎です。一つ一つは小さくても、結構な数を消費すればその分の違いになります。
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これが、一つ50円ぐらいだと、取引コストを考えると従来だと提供者側は収益が出ないわけです。
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ただ、月に100ちかく使う人(消費者)は、5000円の書籍代もしくはCD代(に近い概念の)費用をはらっているわけで、単価が40円か60円かで一気に月間の費用が変わります。
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「最も小さい、価格の粒」を規定しているのは、取引コスト。
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その辺を1円や0.1円まで一気に下げる社会インフラができると、これまでは成立しなかった「マイクロ価値」を有する人々が、持っている価値の一部を経済的価値に変換できるでしょう。
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消費者にしてみれば、いままでは存在しなかった「書」や「曲」が手に入り、月に5000円の書籍代はださないとしても、月に120円分の書籍代なら、捻出できる(ジュースを一つかわないか、地下鉄2駅分ぐらいのいどうなら歩くか)。そういう消費の形が生まれるかもしれません。
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生産者人口というカテゴリーに属さない人々(年齢にして14歳以下、65歳以上)の
マイクロ価値(これは価値が低いというよりも、継続的に長時間の労働形態を確保できることと関係しているはずですが、)を社会に提供し、その対価を得ることができるかもしれません。
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価値の粒が下がるとこで、その総額は落ちるかもしれません。
しかし逆に従来の消費層とは違う層へのアプローチがなされて、「極小粒」×「人口の数%」になるようなものもきっとあるでしょう。
人口の1%普及(これはものすごい普及率を想定することですが)のマイクロ価値提供がなされたとすれば、その価格が仮に「5円」であったとしても、
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5円×1億2千万人×0.01=600万円
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のボリュームがあります。これは、日本の中小企業の「一人当たりの年間売上高」数値に相当する数字でもあります。
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消費者にしてみれば「5円」という小額貨幣で、享受できる価値はほんの少しでも見合うはずです。
たとえば、・・・そうですね、聞くと一瞬、アルファー派がでそうな、すてきなジングル(短い音)でもいいかもしれませんし、1ページのビジネス書、でもいいかもしれません。
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(1000円=200ページ⇒5円=1ページ)
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1ページノウハウということは400文字です。
1ページ読むごとに課金されるような形の本(的なデータ)だと、読書とは違ったスタイルをつくるでしょう。
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そんなことを、ふと考えていました。