挑むとは、失敗可能性をもつ時間なり
新幹線にのり遅れて、今ある新幹線ホームにいます
新幹線を逃したのは一年半ぶりです。当時はシリコンバレーに向かう仙台駅を巨大をもってかけあがりましたが。今回は発券機が予約照会している時に時間になりました。それでもダメ元でかけ上がってみたのですが。
前回も今も似たものがあるとすればそれは、挑む、拓く、という心理があるように思います。
そして、その中では、失敗する可能性に飛び込んでみる、という行動につながるようです。
それには身軽でないといけません。自分の事業に自分で即断ができる行き方。
乗り遅れて次の新幹線、予約がないので自由席に座りしばし考えていました。
因みに、この車両に、今、わたししかいません。不便なものに暇あり。人も少なく、資源も余っています。あるいみ都会に対する地方のよう。早くついてカフェにいくかわりに、新幹線でこーひーを、というのもいいですね。都市やインフラに、活用度の濃淡あり。探して利用するのは意外と簡単かも。何かを一つ遅らせてみる。通勤の雑踏で半歩とまって見渡せば、何が見えるだろう。祭りのクライマックスの後、しばしとどまりて見よ。我何をみん。チラシ閑散期には、何かある?休刊日にはどう?クリスマスの翌日のレストランおむちゃや、給料日の前の銀行、連休最終日の旅行代理店、新入生対応の終わった衣類やさん、秋のプール、など。
あまりに脱線しました。この辺で。