二十の扉
アレックス・F・オズボーンの文献を読んでいて、ゲームもまたイマジネーションの訓練にいいとあり、そこで「二十の扉」が紹介されていました。
二十の扉
オズボーンの時代にこの「二十の扉」がすでにあったことにおどろきました。私の年齢だと、これが日本でラジオ番組になったこともしらなくて、最近、ゲームメーカらからQ20という正解当ての装置が発売されていたので、割と最近の概念だと思っていました。
今日、夜、妻とウオーキングをしながら、実際にこれをやってみました。20の質問で、相手が思い浮かべていたことを突き止めるのですが、これがやってみるとかなり難しい。そうそう20問ではあたらない。もう10問を越えたあたりから、皆目検討も付かない、という状況になります。イマジネーションを相当に働かせる訓練になりそうです。
多分、ある種の効率的な概念上の切り分け方法を独自に作り出すと、これには強くなれそうな気がします。森羅万象のすべてを20問で突き止めていくための、本質的な問いのセットが。
ただ、難しいのは、問いが必ずしも、YES or NO で応えられないところ。例えば「はりねずみ」を想起していた出題者に「尻尾は大きい?」と聞いたときに、「あれ、尻尾ははりでおおわれているのかな、それとも尻尾はねずみみたいに細いかな」という応えにくいものだと「多分」。という答えが出てそれが、ときどき間違っていたりすると、その条件がかえって混乱の元になってしまいます。また、一度「これじゃないかな」と思う浮かんだものが、どれかの質問で既に否定されてしまっても、繰り返しそのことが頭に浮かんでしまう(これは、アイデアの通せんぼ、とオズボーンが呼んだもの。ある意味短期記憶の特性上こうなる)もので、そのことがさらに回答を難しくします。
この「二十の扉・ワーク」は、いろいろ応用が利きそうで、おもしろい可能性があるなと思いました。