同じ気持ちで見つめる
先日、娘の小学校の学芸会を見に行きました。
木とか岩をするのかなとおもいきや、カミナリの子。
主役の子供がいっぱいいる今の劇は、むしろ岩とかやらせないみたいで。
主役がいっぱいいる今の劇ってどうなの?という声がありますが、親にしてみたら、一瞬でも子供がソロのセリフをもって動いているのを見るのはやっぱり、ぐっと心をつかまれますね。
自分の子供のシーンだけを夢中に取ろうとする自分に気が付きました。そして、ほかの子一人一人に、親がいて、その子のシーンがその親御さんにとっての、輝けるシーン。
他のうちの子にも、わが子の晴れ舞台が見たし、という同じ気持ちの親がいる。当たり前ですがそんなことを思いました。
他の子が動いているときには感情移入しないけれど、わが子にはする。当たり前の真理ですが、社会の中に様々なサービスでもこのことはよくおこります。
お客になると世の中至らぬことだけ。しかし、売り手になると足りないところは見えも聞こえもせぬ。
他人事になるか、当事者になるか。
人の認知はそれほどまでに大きく変わる面白い特徴を持っています。
時には、わが子以外の子供にも、その子の親御さんが感じているだろう輝きを想像しながらみてみる、というのも、いいかもしれませんね。
学校の先生は、子供はたくさんの存在で、不満も見えぬとなっても仕方ない所のはずなのに、一人一人に光が当たるようにしてくださって、役割を作りつつ話がきちんと成り立つようにしている。すごいなぁと思います。