京都、源光庵。「悟りの窓」と「迷いの窓」
京都の千本通りを北へ北へ行くと一条よりもう少し北のあたりの斜面を上がりながら歩くと、源光庵(げんこうあん)があります。
場所は 「京都府京都市北区鷹峯北鷹峯町47」 です。光悦寺とも近いです。
http://maps.google.co.jp/maps?q=%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%BA%9C%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%B8%82%E5%8C%97%E5%8C%BA%E9%B7%B9%E5%B3%AF%E5%8C%97%E9%B7%B9%E5%B3%AF%E7%94%BA47&ie=UTF8&hq=&hnear=%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%BA%9C%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%B8%82%E5%8C%97%E5%8C%BA%E9%B7%B9%E5%B3%AF%E5%8C%97%E9%B7%B9%E5%B3%AF%E7%94%BA%EF%BC%94%EF%BC%97&gl=jp&ei=7Cb-TMqfDcrUrQedp6GoCA&oi=geocode_result&ved=0CBgQ8gEwAA&z=16&brcurrent=3,0x6001a83fb6c5fa2d:0x5fb552a6fc76508f,1,0x6001a83fa3ce438f:0xefd046bb1bdd1fc6
ここには、2つの面白い窓があります。
「悟りの窓」
「迷いの窓」
丸い窓と、四角い窓のある庵です。
入場の時にもらう資料です。
実際はどんな感じの窓だろう。潜水艦の窓ような感じの小さい丸い窓が想像されます。楽しみに入っていきました。
まず入ると、庭はこんな感じです。
大きな松が添え木で広々と枝を伸ばし、奥には立派な紅葉が。左手から建物の中に入ります。
建物の入り口から中庭を見るとこんな感じです。
中に入るとこんな感じです。
ハイシーズンということで込んでいるのもありますが、
観光地の建物、というより、この辺は、お寺さんに上がらせてもらったような感じすらあります。
縁側から見える紅葉が美しいです。
小さな空間にいろんな意味性をもたせているのかなと思わせるつくりの庭。
紅葉の見事さで何枚もとってしまいます。
観光客の喧騒も、この辺まで来ると、みな何か佇むような、静かな感じに。この男性も何かを考えているようでした。
小ぶりの窓がありました。
空間を切り取り、絵のような構成で配置された岩と草木。
これがそうなのかな、と思いましたが、まだ違いました。
目的の窓は、人だかりで込んでいて前に進めないのでしばしほかの部屋を見学。
みんなほとんど見ないですすんでしまいますが、この部屋には趣のある不思議な花がいけてありました。
ゆらり、と立ち上る煙。
確か、八重杉、でできていると書かれていた、屏風。実に立派なもの。
目的の窓ではありませんが、これもまた美しいデザインの窓でした。
さて、ようやく、目的の窓エリアにたどり着きました。
ここの右手にあります。
廊下側から本堂をみると
さて、本堂の右わきに進むと、「悟りの窓」「迷いの窓」の2つの窓が。
昔の技術でここまで新円の窓枠を作ってつけることができたことだけでも、すごいなぁとしばし見入っていました。
案内の文章によると
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「また、本堂には、悟りの窓と名付けられた丸窓と迷いの窓という角窓がある。悟りの窓は円型に「禅と円通」の心を表わし、円は大宇宙を表現する。迷いの窓は角型に「人間の生涯」を象徴し、生老病死の四苦八苦を粟原している。」
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とのこと。四角は人間という身の限界や有限という有終を表現しているんだなぁ、円というのは終わりのない広がりや真理のようなものを表現しているんだなぁと、と私はこの前でしばし考え込んでいました。
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ですが、ここでおわりではなくて、もう少し続きます。
この場所で、ゆっくり考え込むのは実は難しいのです。ハイシーズンだったから、かもしれません。
たまたま人の切れた時の写真が上記のものですが、通常はこうです。
かなりな賑わいを見せています。
この場所に押し寄せて、写真を撮って窓からの景色をしばし見て、わいわい帰る、というのは、この場所のコンセプトからいってすこしもったいない気がします。
悟りの窓をみたら、さっと帰る人もいますが、なかには、ゆっくりしていく人もいます。
私も、この中庭を、縁側に出て夕暮れの間中ずっと眺めていました。たぶん2時間ぐらい座っていたと思います。
平すら、紅葉の表情が変わっていくのを眺める、なんて、子供の時以来、贅沢な時間の使い方をしました。その部分は、次のエントリーでひたすら載せてみたいと思います。