12年前の紙に、向かう
大学院を出てから企業や行政法人フェローをへて、今の立ち位置にいますが、その間に何度も引越しをして文具や書物は代謝を繰り返してきました。にもかかわらず、12年前に大学の生協で買ったレポート用紙」の残部だけは幾度もの引っ越し時のセレクションを経ていまの書斎にあります。
いまさら、学生時代のレポート用紙を使うわけもないだろうとおもっていたのですが、これだけ長く、セレクションを生き抜いてきたアイテムには、やはり愛着といいますか、不思議な親近感がありまして、今日も書斎の整理の際に「捨てようか」と手に取った時に、資源回収ボックスへもっていても手を離せない自分がいました。そんな自分をちょっと笑って、「いや、ならば、使おう」ということで、むしろ書斎の一番いい所に、おく、ということになりました。
今日は、今週受ける研修の事前課題を書くつもりでいたので、さっそくそれを開いて、書きつけてみました。
ふしぎな集中感がかもされて、あっという間に時間がたっていました。
PCよりも、文章の遂行がしやすいことに気が付きました。PCの場合、書いては消して、入れ替えて、を繰り返していくと、短期記憶の範疇で文章を変えるのですが、何度も速い速度で直しているとだんだん、文脈がゲシュタルト崩壊するかのような、妙な「文章構造の違和感をわからなくなる」時期が来ます。
紙の場合は、そんなに便利に入れ替えることができません。書いた文章を、線で消したり、やっぱり生きにしたり、ぐるっとかこって、矢印で別の所に入れたり。
これは、コンセプトを考え、考え、書き出していくようなときには、この紙の作業感というのは、わずかながらPCよりも良さがあるような気がしました。
ちなみに、12年前の紙が、まったく劣化していなかったことも驚きました。コピー用紙だと経年劣化をへてしまうところですが、大学で売っているレポートには、すこしいい紙が使われているのかもしれません。
なんといっても、当時の手の感触が再現されて触感的に懐かしいものがありました。当時の紙、そして偶然にも、当時に使っていた『プラマン』を数年前から再び使い始めていて、その組み合わせで今日は紙に向かったので、当時(そのころも、今と同じ、八木山南に住んでいました)の空気を思い出していました。
時には、紙とペンで長い文章をつむぎだすのも、いいものですね。久々に、紙の日記帳をつけてみたくなりました(毎回、三日坊主になっていますが)。
追記:
デジタルで、クラウドで、即時で、ゼロコストで、という大きなトレンドの中には、かならず渦巻いて逆に流れている見えない傍流があるはずです。すこし、アナログで、ローカルで、遅くて、費用のかかる、ものに、こんな時代だからこそ萌芽しているトレンドがないか、よく目を凝らしてみてみたいと思いました。