外国語を話せる度合いを客観視する
世界で活躍している大学の後輩諸氏から、時折メールをもらいます。今日は、英国で活躍している方から、志しや目線を感じるメールをもらいました。彼のメールには、いつも自分の居場所を広い所から見つめなおす機会をもらいます。
私は、自分が英語が苦手であることは自覚しつつも、それは異文化への訪問への障害としては小さいことであって、どの国でも行動の舞台なんだなあ、と最近はよく思います。仙台での親友たちやアイデアプラントのメンバーも、海外渡航や事情に詳しいことも、影響しています。また、創造技法として、TRIZはロシアに原点があり、CPSはアメリカに原点があり、北欧にも面白い創造性の専門家がいたりして、旅費の制限さえなければ、どの国も訪問して、できればいろんなものを学んだり、現地で軟化を創ったりしてみたいとおもっています(漠然としていますね)。
英語が苦手とはいっても、(これは私が良く言う話ですが)ロシア語で簡単なあいさつをしたり、買い物をしたりするレベルを考えてみると、私たちの英語力は、相当なものだと思います。ズドラースドヴィーチェ(「こんにちは」の意味)、ミニャ ザヴート イシイ(「私の名前は石井です」の意味)、これが言えるのは、日本人で何パーセントでしょうか。商社の世界は言える人が多いかもしれませんが、ドメスティックな仕事をしている人がほとんどの日本においてはとても少ないでしょう。
私たちは英語で、挨拶をして、名前を紹介して、サンドイッチのショーケースをさしてこれが食べたい、いくらですか?と聞くことができて、ホテルのフロントで今晩泊まれるかを確認して、窓口で地図を見せながら目的地の切符を買うことができます。日本の文化と自分の専門知識についてなら、単語の術図つなぎでなら、伝えることができます。これがもし、ロシア語やフィンランド語でいえたら、それはかなりすごいであるとおもいます。英語に関しては、私たちは、そういう言語水準にあると思うのです。
もちろん、会議室で闊達に議論するとか、ビジネスメールや論文を書いて、ネイティブに違和感なく伝えることができるか、でいえば、まったく違います。そういう高みを常に目指していく事は悪いことではないと思うのですが、その水準に達しない限りは外国に出たくないというマインドの冷え込みが起こるとしたらそれは、あまりにもったいない気がします。
それから、渡航先で、時間がたつと次第にしゃべり始める自分がいる、といつも思います。
学生時代にバックパッカーで旅行したイタリア南部。なんど窓口に行っても切符を売ってもらえずに悲しい思いをしたりしながら、それでも、「ミ・キアーモ・イシイ(私の名前は石井です)」というセリフぐらいは、何十回と言っているので、10年たった今も覚えていますし、シリコンバレーに行ったときは、訳してくれる人と一緒に行きましたが、IDEOの会議室で彼が翻訳してくれるのを聞いていて次第に自分で、片言英語で口をはさみはじめたりしました。慣れてくれば、人が訳すワンクッションがもどかしくて、徐々に言葉が出てくるもの、と思いました。時間はかかり、失敗も多いかもしれませんが。
ふと、そんなことを思っていたので、メモをしてみました。