いきなり、完成を狙わないこと
筆がどうにも進まない、しかもある程度ことについてのネタがあるのに、という時には、「いきなり、完成を狙わないこと」だと、自分を観察しておもいました。
講演やワークショップで使う要素スライドを沢山ストックしています。表紙すら、複数のパターンでもっています。でも、それを立ち上げて最短の時間で無駄なく作ろうとして、なかなか着手できないでいる自分がいることも、いま、ふっと感じました。
楽をしようだなんて思わないことだ。
それがもっとも遠くの自分を楽にさせない方法だから。
そんなことを、思いました。
効率?半端にそんなことを取り組むなんてやめよ、とも、思いました。
仕事の初めにいつも書いていた一枚のカード「この仕事の意義」を書くことを最近、忘れていました。繰り返していると、毎回、同じことを書くので、それはスキップしよう、と。でも、いま、同じところぐるぐるとまわるような汗のかきかたをしておもいました。私にはこれが必要だ。「この仕事の意義」を明確に宣言することから、その講義コンテンツ、ワークショップコンテンツ、アイデア発想ツールの世界は、おぼろに輪郭をなしていくのだ。と。
「ここで一つ無駄なことをしてみると、なにができるか?」
「ここにひと手間加えるとしたら、どんなことができるか?
と考えること。
後にそれは「削るほど魅力的になる」というコツに従い、はぎ取ったとしても、一度、粘土をつけてまた剥がすようなことを、可能な限りすること。それが、私の物の作り方だ、と、再び思ったのでした。
「いきなり、完成を狙わないこと」
後でたくさん、無駄になるような、仕事のはじめ方を、しなければ、ものを生み出せない。仕上がりの良いパーツの組み合わせに進むには、まだまだ未熟すぎるしもっと成長していきたい。
余震が続きますが、もう、浮足立つのは、やめて、没頭します。