課題解決に必要なことはみんな教わっていた。
11月2日。ハイテクベンチャーの駐在サポートの日です。半日ばかり社内に駐在しながらサポートするので、内部の目線でさまざまなものが見えます。
ここで新技術の事業化サポートをするわけですが、なんと、その主題に入る前に、こえるべき別の課題が見えてきました。それは着手するとなるとかなりヘビーな対象です。クライアント企業もそうですが、支援するコーディネータもかなり本気で問題に当たることが最低条件。
さて、どうしたものか。外部からその課題を解決してくれる専門家を呼ぶことも選択肢の一つ。しかし今回は諸般の条件をかんがみて、まず社内の力で課題解決をめざしたいということに。
さて、複雑に絡み合った異なる階層と異なる属性の問題、どう料理していいのか分からない問題をまえにしばらく考えます。実に今回は、2週間かけて、問題分析の切り口をあれこれと探してゆきました。幸いなことに経営学の辞書的な書物に調査手法があるのでそれを行います。そして出てきた結果でさらに分析をしようとしますが、そこから先は、企業個別の問題が色濃くでますので、ここからは自分で仮説検証のサイクルをまわすしかありません。
取り組んでみると試行錯誤の上、ようやく、問題をKJ法で整理していくと、構造のなかに意味づけを見つけることができました。意味づけを主軸にし、再度問題を展開。そこから対応必須事項とそうでないものを抽出。対策のためのアイデアリストとなるものを最終的に描き出しながら、ふと、振り返り思ったのが、『問題解決に必要なことはみんな教わっていた』ということです。大学院の経営戦略の講義で、と、大学院の研究及び論文作成で、です。魚を与えずに釣竿を与える。教育とはそういうものだとよくわかりました。親の意見と冷酒は後で聞く、といいますが、そんな余韻のあるレクチャーがすばらしいと最近思うのです。