凛と背筋を伸ばし。
秋が深まり、澄んだ夕暮れ。街や樹木が影絵のように、言われようのない情景を作り出す。
暮れ行く空を眺めつつ、凛と背筋を伸ばして立つ。
自分がいた証は必ず残る。誰かの目に映る自分の後ろ姿。それはきっと誰かの意志に何かを残す。その人の選択にほんの少し、影響を与える。その人の後姿が、意志が、次にのこる。
「モノ」を永く残すことは本当にごく稀の人にしか出来ない。「魂」というものがあるのかどうか、分からない。しかし、「意志」は必ず残る。あるいは「姿勢 -精神的背骨- 」は必ず残る。
残したものが、薄く広がりながら次の社会の色の一部になる。
その源点は、日々の自分の背中だ。誰かの網膜に自分の後姿が、残る。打ち込み、信じて進み続ける自分の後姿が。
人生でほんの一瞬しか、かかわることのない人もいる。そんな人にも、自分の姿は、わずかに残り、1億分の1だけ、その人の選択に影響している。
「どうでもいい日」は一日としてない。
り・ょ・う・ま
凛と背筋を伸ばし、
良い未来を明確にイメージし、
内にひめたる力を信じ、
前へ、一歩前へ。 (29歳のときに私が作成したもの)
坂本龍馬さんの生き方や姿勢は今なお、人々の意思に強く影響し、社会の色の一部になっている。1億分の1の「残したもの」は、100年後の社会に「文化」を創る。顕在か潜在かの違いはある。
今ある文化の全ては、1億分の1の残したもの、のうずたかく積みあがったもの。
名のある人、無名の人、その1億分の1という塵のようなものとは、そういうものである。
くるりと背中がまるまっていたら、凛と背筋を伸ばしたい。
未来の社会に残したいものは、くるくるとしたタコのようなモノではない。すっとしなやかに伸びて立つカモシカのようなモノだ。
自分を信じ、やり遂げようとすることを本気で続けていくことだ。
成功の確率の見えないものは世の中に沢山ある。
その成否をわけるものは、唯一つ。
『自分を信じて本気でやり続ける』こと。
私が次の世代に、娘たちに、残したい後姿とは、そういうものである。