コンテンツとプロセス。知の二大要素。
プロセス。
これはなんだかよくわからないもの、ですね。日本のビジネス社会では。プロセスとは”一定の目的にたどり着くための手順をならべたもの”などをさします。
医薬品の製造のプロセス、といえば、いろんなケミカルな処理を次々としていって、最終的にタブレットや顆粒上の薬品ができるまで。いわゆる工場見学で目にする一連の工程。
コンテンツは、具体的に知識のなかみ。目次、を”コンテンツ”とも言いますし、アニメなどの映像をコンテンツ、とも言います。具体的になに、という部分です。
知と言うものを、大きく分けると、コンテンツとプロセス、に変われます。日本人はコンテンツを対象に価値を見出し共有することは普通に出来ますが、プロセスについては、価値を見出しにくい傾向があると思います。
プロセス≒どうやるのか。
コンテンツ≒何をやるのか。
プロセス≒How
コンテンツ≒What
プロセス≒手順
コンテンツ≒具体 とも。
この2要素は、バランスして存在して初めて、提供価値になっています。
会議では、何を議論するかは注目されても、どう議論するかはあまり注目されません。その辺については、会議の科学、とでもいうべきものが最近はよく増えました。いかに会議するか。を改善するべきノウハウ。
さて、プロセスが具体でない、ふわふわしたもののようで、扱いにくいわけですが、それらを可視化して、「モノ」にしている事例があります。例えば、「○○分析シート」のようなものは、一定の考える手順をシートにしたものです。ワークブック、の類はすべからく、”プロセス”をものにしたもの。
ここからが、螺旋(らせん)に入るところです。
ワークブックや○○分析シートにおいては、そこに書かれているプロセスは、そのツール(あるいは商品)の「コンテンツ」である、ということです。
プロセスは、熟度があがるとコンテンツになります。プロセスそのものを伝えるコンテンツに。
整理できていませんが、関係するある言葉があります。「記号を付与することで、論理学は発達する。」(※1)
(※1)これは、大学時代に数学科にいたときに、先生がおっしゃった言葉です。ある演算の塊を、一つの記号として定義し、その記号が持つ特性を明らかにする。すると、記号同士の演算という作業が登場します。毎回毎回ある種の高等演算を必要としてた数式変換が、あるしゅの記号化によって、初等数学で演算できる、といったこともあります。
プロセス、という扱いにくいふわふわしたものも、ある種のシートやブック、カード、アイテムなどに押し込むことができると、扱いやすいコンテンツに。そしてそのコンテンツをぐいぐいと使っていくことで、新しい知が得られます。発見される知のリスト、これはいわばコンテンツ。
そのコンテンツが充分に溜まってくると、代数的な扱いが生まれます。つまり、コンテンツが何であっても、成り立つ作業手順、知的な作業手順。それは複数のコンテンツに対応した「やり方」です。
これは、新しいプロセス、ですね。
螺旋、と表現したのは、コンテンツ←→プロセス、というのはお互いに、誕生をさせあう関係にある、という意味で、です。
なお、暗黙知と形式知の発展プロセスにも関係する話題があります。
ある種の暗黙知があります。たとえば、職人さんのかんなで曲線を創り出す技能。これがきちんと人に伝えられる言葉や数字と伴い始めると、伝達可能な知に変わります。いわば「形式知」。
この形式知が登場すると、それらの技術をつかってその上に更に高度な技が発展します。それらは、次第に新しい暗黙知を醸成していきます。
暗黙知が、形式知をうむ。
形式知が、新しい暗黙地を生む。
この螺旋階段が、技術発展の歴史、であると。
以上、まだまだ整理できていませんが、知の二大要素である「コンテンツ」と「プロセス」。
具現化(プロセスのモノ化⇒コンテンツ誕生)と
代数化(複数のコンテンツの作業の共通部分の記号化⇒プロセス誕生)
この両輪があることを意識してみると、知の時代である現代の仕事というものが、よく分かるような気がします。
(一般に、プロセスの部分は、光が当たっていないので、コンテンツが次世代にジャンプするように誕生するように見える。実は光のあたっていない部分がある螺旋階段である。そこにも目を向けると見える構造がある。)
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