自作幸感仮説

「人間は自分が生産した、手作りした
ものが多いと幸せを感じる生き物のようだ。」
と友人のメールにありました。彼は政治家を本気で目指して現在修行中。このメールをもらったのは随分昔なのですが、それ以来、ずっと気になっています。
拡がるつながりがありそうです。それについて、友人たちとの会話が広がりました。
「まちを楽しくすることが、
まちを楽しむ一番の方法。」
「自分で主体となって作用する要素を持つ」
「社会を楽しくすることが、社会を楽しむ一番の方法」
「楽しませられるよりも、楽しませたほうが、もっと楽しい」
「自分の子供は他の家の子供より、断然かわいい」
「ベテランの人の中には、特に報酬がなくても
若い世代を育てていくことに喜びを感じる人々がいる」
「最高の学びの場は、自分の体験に基づいて他の人に教えること」
「真剣度が違ってくる。すると全身の神経が研ぎ澄まされ、頭もフル回転する。
すると今まで見えなかったものが見えてきて、今までわからなかった難問が解ける。
すごい満足感や達成感・充実感を得ることができる」
「かけがえのない”リアル”な体験」
「主体的に取り組んだほうが、面白い」
「失敗するとその分痛いけど、それもすごい勉強になって次につながります」
「自分の作品の一番のファンでいたい」
自分でしなくていいことは人に任せる。そんなことをしらりといいきってしまうことは多いわけですが、それは何でもかんでも、では幸せになるための知性に欠いているようです。自分でやろうとしがちな人々というのはいます。私も割りとそうです。幸せにいきるのに重要なこと、というのは、どうやら、効率とは別のところにも沢山あるようです。