楽をしようだなんて思わないことだ。遠くを見よ
あるスライドを作っていっていました。どうもしっくりいかない、とこか、着心地の悪い服を着ているようでした。なんでだろうと、夕方近くに、一度気分転換してようやくわかりました。過去のものを使ってできるだけ、新しいものを作らないようにしている、仕事を急いでいる、ということが、イライラを引き起こしていました。
仕事は早く進めることをよしとしていますが、しかし、スライドについては、過去のものを使うことは、内容がほとんど一緒の場合(そして、そういうケースはめったにない)のですが、今回は、それを時間の関係上、切り貼りして、調整しようとしていました。
私の教育におけるモットーである「最初に本物を与える」この自分で決めた約束をやぶって効率化しようとしていたのだと気が付きました。
その結果、いらいらして作っては直していました。
結局、ゼロから作り始めましたが、それは非常に快調にすすんでいます。当時とは知識や経験が違う。そのため、過去の表現よりもよりシンプルに、よりエッジのたった知識を持っています。
これも、過去のものを使いたくない(と潜在的にこころがNOをいいつづけた)理由かもしれません。
前にあげた言葉を少し変えて、また、表現したいとおもいます。
「楽をしようだなんて思わないことだ。遠くを見よ。」
20年かけて進みたい場所があります。今日や今週、ちょっとくらい楽してみても、しかたない。たまにしっかり休みをとってみたら、「すこし楽してみようかな」なんて心が芽生えてくるものなんですね。人間というは。
我に返って、楽をしようとしていた自分の考え方が恥ずかしいなぁ、と思いました。目線を上げて、あせらずさぼらず、前に、すすみますかね。