「作家のブレスト」について熟考中
「部分が全体を定義する」とは創造工学でいう、”アブダクション”のことだろうか――?最近、作家のブレスト、ということを考えていて、アブダクティブな思考様式が、作家の初期の構想づくりにあることを感じ取っています。
アブダクションとは
「少ない出来事から全体を予想する力」
「あるいは仮説設定」とも訳されます。
演繹と帰納につづいて語られることが多い。
もうすこし、背景を説明します。
最近、クリエイター系の方の支援のお仕事で「作品の世界観を作り上げるためのアイディア出し」ということについて、依頼を受けて、考えていました。また、そうしたことに造詣の深い知人・友人にアドバイスコメントをもらったりしていました。
※こういうときに、私の周りには、社内にも、仙台の知人関係にも、起業家コミュニティーにも、やわらかい感性の人が多いので、助かっています。
どうも、作品の世界観を作る、というのは、従来、「創造的問題解決(CPS)」で使われるブレストとは、根底となる視座が違うようなのです。しかし、そのおっしゃることはわかる。その異なる2つの視座をどう変換するべきか、そのことを探るヒントを集めていました。
※なかには、主要な要素を立てて、複数案を出し、そこを元に世界観を広げる、といったブレストに向くステップをお話しされているかたもおられます。それも参考にしつつ、しかし、もうすこし、感性の海の中を泳ぐようにして、段取りのない”ふんわりとした創造”について、目を凝らしてみたいと思います。そこから目を背けるのは簡単。しかし、強い意志をもってそれに取り組めば、きっとそれは、見えてくるはず。そう私は信じています。なのでしばらくは、この(私には)新しい価値観である”感性的な創造の作業”あるいは、”問題解決型じゃない”ブレストを見つめてみたいと思います。
そういえば、クライアント(プロ、しかも大きな賞をとったり、作品が映画化されているある種のクリエーターさん)から、本を紹介されました。
ガルシア・マルケスの書いた名著です。
この中に、作家のブレストがある、模様。さっそく手に入れました。宿に帰る道中、私はしばらく、考えていました。既存のオーソドックスなオズボーン・スタイルのブレスト。これを基本モデルだとたら、そこを基準にして、この「作家のブレスト」はなにをしていることになるのか、差異と特に固有のプラフ部分を、分析的に抽出してみようとおもいます。そして解釈し、再構成する。たぶん、作品創作系のブレスト、というものをもう少し、スマートに、理解できるのではないか、と思います。
クリエイター分野の仕事が、私のスキルと研究の幅を少し広げてくれつつあります。私の仕事はいろんな仕事が来るたびに、分野が広がる仕事だなぁ、と思います。全くつながりのない異なる分野から依頼をいただけるのは、ありがたいことですね。