「努力ともたらされるものには、タイムラグがある」
未来の自分へのメッセージにもなりそうな気付きがあったので、メモとして残します。
私の属するある業界で、大きなプロジェクトが進行しています。私はオブザーバーをしています。私は純粋に進捗をみているだけです。そのプロジェクトは社会的意義も高いし、ある種の人たちからの大きな期待も一心に背負っています。内部で人が必死に動いています(しかも、たいていは無報酬にて)。
その彼らの出口(成果を形にする段階)が、なかなか具体化しません。彼らの成果物は出版を通じて社会に生み出されます。その出版がままならない。イノベーティブな内容です。出版社にしてみると既存の売れ行きが参考にできません。本の売れない時代に、そういう挑戦を受け止めてくれるところがなかなか、ない。そんなわけで彼らの中に、あせりの色が見えているようです。
そのプロジェクトは一方で、成果物(本)を創りつつあります。オブザーバーとして、その本の企画だけで知り合いの編集部に話を持ち込むのは、上記の理由で厳しいとおもいつつも、現物が出来上がれば、その内容の質の高さ、有望なマーケットがあること、がきっと相手に想起してもらる、そう確信しています。だから、早くモノができないかなぁと思っていました。たぶん、それは私だけじゃなく、その段階が来たらお手伝いできるだけしたい、とおもっている協力者予備軍が結構いそうです。
プロジェクトの中心メンバーはこうした状況は、把握されていないと思いますが、ひたむきに本をつくる作業を進めています。その姿には本当に頭が下がります。
さて、タイトルの話に帰結します。
プロジェクトの責任者は気が気でないと思います。努力が8割がたすんだのに、最終成果物への道は、まだ1つも見いだせない。こんなに努力したのに、ぜんぜん、チャンスはやってこない――。そう感じてしまわれないか、そして、プロジェクトの推進力を弱らせてしまわないか(最悪、あきらめてしまわないか)と、いらぬ心配をしてしまいます。
彼らの水面下には、もうすぐ顕在化する協力者がずいぶん、集まってきています。もうすこし、もうすこしです。この苦しいフェーズの向こうには、協力者が一気に顕在化する最終ラウンドをあっという間に駆け抜ける日々が待っています。でも、当人たちは、見えない。苦しい。
(たぶん、それに負けるような、やわなプロジェクトではない、ということも、わかっています)
いつか、自分に、この立場が来た時に、今回の気づきは自分を励ます気付きになるんだと思います。
「努力ともたらされるものには、タイムラグがある」
今までの努力が全然、報われていない、というのは、水面下まで来ていて、顕在化を待っているのだ。早くそのフェーズまで進んでほしい、と報いる物事は、まっているのだ、と。
逆にいえば、ある種の成功や称賛は、タイムラグ。その時の自分にそれがあるのではなく、過去の自分に、きたもの。それに胡坐をかく行為はあまりにも危険。
努力と報いがバランスするのは、1年ぐらいのタイムスパン。二、三日や一か月程度で「努力しても、ぜんぜん報われない」と思うなかれ。
以上、気付きメモ、兼、未来の弱った時の自分へのメッセージ、でした。