”新しい”ものは”よく知らない”ものと、似たエリアにある
「新しい」は「よく知らない」に似た部分があります。
「創造」とは、CPSにおける定義では、「新しい」+「有益さ」ですが、その”新しい”という物事について、少し考えてみたいと思います。
物事を「よく知っている」「よく知らない」に二分してみます。”よく知っているもの”は”新しいもの”ではありません。新しいもの、は、よく知らないもの、に含まれています。
注:”新しいもの”の集合≦”よく知らないもの”の集合
ですが、ここでは、この違いは単純化のため、議論しません。
また、”よく知らないもの”の中には『有益なもの』と『そうでないもの(無益なもの、害があるもの)』があります。
ここまでを整理すると
「新しい」かつ『有益』なもの → 創造
「新しい」かつ『無益・有害』なもの → 試行の挙句の無駄や読めないリスク
「新しくない」かつ『有益』なもの → 既知の有益なものごと
「新しくない」かつ『無益・有害』なもの → 既知の無益・有害なものごと
こうしたものが、「よく知らないもの」に含まれている、と分類できます。
こうしたことと、創造するチーム、は適切に付き合わなければなりません。タイトルの言葉を言い換えるならば
『新しいものを考えるチカラは、よく知らないものを考えるチカラ』
とも言えます。
人間は、よく知っているものごとを考えるのは、得意です。正確で素早くできます。素性のわかっている物事は予想外のこともすくないし、実績もあります。
しかし、創造する人は、新しい物事を考える必要があります。それはつまり、よく知らないものを考えるチカラ、がいる、ということです。発想法がその一つであるのですが、生来こういうことが得意な人もいます。そういう人には、発想法はいりません。発想法は、もともともは、そういうことが得意な人、が”どういう手順でそれを考えついたか”という”創造のプロセス”を調べて、シンプル化したものですから。
ただ、創造的な人も、発想法を使う人は多いようです。自分の高いパフォーマンスが、あるテーマではなぜか働かない。そううい時には、自分の力を引き出すために、発想手順を振り返り、本来の力を出そうとしているのだ、と私は思います。