創造は暗道(未道)を行く行為
前のエントリーに、似ています。すこし表現をかえて、記します。
よく知っている物事を「明るい」、よく知らない物事を「暗い」と表現してみます。
創造は、暗い道、つまり、未踏エリアの道(未だない道)を行く行為、といえます。
物事を考える時に、安心して考えることができる、道筋を立てて考えられるのは、明るい道、つまり、既知エリアの道(既にある道)です。
安定を求める組織(組織は成長とともに、イノベーティブからオペレーティブになる本質傾向がある。平均的な組織は、経年とともに、安定志向になる)は、予測のできない不確実さをさけ、よく知っている物事で、つまり、「明道」を外れない範囲で考えようとします。
効率偏重の組織では、”実績のあること””昨年と一緒”を極度にもとめることになります。
しかし、新しいこと=変化・変革は、本質的に、暗道にあります。暗いエリアへ深く入るほど、読めないリスク、読めない不確実さがでてきます。
「リスクはどうするんだ」「○○という点が不確実だ」という指摘は、新しい物事をつくる際には、あげられる懸念事項として出てきます。そういう懸念事項なしに、新しい物事は創りえない。
ここが、安定を求める組織に長くいると、誤ってしまうところです。あらゆる種類のものごとは「明るい道」の中で、議論できてしまう、という思い込みがあります。暗い道の中にふみこんで、そこから、新しい有益さ(=創造)を取り出そう、というときに、ほんの少し暗いエリアに踏み込んだだけで、混乱して「分からない物事を、極度に恐れる」心理で、先に進まなくさせます。
創造は、暗い道を行く行為であり、本質的に「よく分からないこと」を手にとって適切に扱う期間が必要です。
上記のモデルのような組織に長くいると、よくわらかないことを、でてくるなり、はじから検証しようとする傾向がありますが、それは効率が悪いんですね。新しくない物事も含まれていますし、有益ではない物事も含まれています。新しいかつ有益、という1/4のエリアの物事、その中でも特に優れた物事を「効率的に」取り出そうとしたら、一定の効率的な手順がいります。安定組織の心理である、よく分からないことへの恐怖心(片端から検証したくなる心理)の非効率さをまず、知らないといけません。暗い所の境界線にある駄ものを一つずつつぶしていくことは、本当に効率が悪い。それを知らずに安定組織のやり方を続けると、結局は、暗い道から”ほんの少しだけ以前と変えただけ”のものを取り出して、終わりにしてしまいます。イノベーティブな物事を生み出すのは、難しい、といって。
人間は、生活時間のほとんどを支配しているルールが、いつでも成り立つと錯覚します。お皿を落とせば床に落ちる。これは地球上に住んでいれば当たり前ですが、宇宙に出れば変わる。たくさん売上をあげて、事業の利益をだせば、個人の所得が増える。これは、資本主義経済にいれば、あたりまえですが、別の経済モデルではそうとはなりません。
組織の中で、「リスクを一切、入れないことを最高のルールとする」というのは、新しいもの(=変化)を作ろうとするときには、とても非効率なルールとなります。
ゲームのルールが変わる、というのは、大局的に考えること、多面的に考えること、ができる人には、素早く呑み込み走り始めることができりるのですが、長らくその中で生活時間を過ごした人には、難しいことになります(非常に大きなストレスも伴うはずです)。というのもすべての行動基準が、揺らがないとおもっていた基本ルールを信頼しきって形成させていますから。それが揺らぐとなれば、一から自分の行動基準を再定義しなくてはなりません。建築物でいえば、土台が変わるわけで、うわモノを立て直すことになります。
そうしたことを、突然のは、難しい。そこで、そういう作業をするときだけのルールとして、オズボーンのブレインストーミングや、創造工学を提唱した方々の創造手法、があとからオンする「特別ルール」として有効なのだと思います。
タイトルの言葉を、視点を変えて表現すれば
『間違いや失敗を扱う適切な方法が必要だ。創造をするには』
となります。