「気持ちの抜け殻」を乗り越えて
ある企画(製品開発プロジェクト)が、終わりました。
正しくは、主体者が社内認可をとれなくて、
そこでプロジェクトの「Kill/Go」は「Kill」で、完了。
こちらは、応援することしかできない案件でしたが、
非常に楽しみにしていた案件でした。
創った商品が広く世の中に役に立ってもらう機会でもありました。
主体者は、Killでプロジェクトを終えました。
こちらは側は、急には気持ちの急停止ができず、
しばし、単独走行をする未来を考えてみていました。
しかし、気が付きます。
それは「気持ちの抜け殻」に引っ張られているのだと。
脱皮したばかりの気持ちは、まだ生命力をもって、
本物の命ある気持ちとみまごう。
しかし、違う。それは、数日、あるいは、数年したら
からから、かさかさ、のセミの抜け殻のように、
形はあるが命のない存在になる。
気持ちの抜け殻にしがみついてはいけない。
気持ちの抜け殻を乗り越えて、進めよ、自分。
規模の大きい案件にも、小さい案件にも、
自分がいなければなかったはずのものを作る、一心に。
抜け殻だよと、いい捨てて、先に、進もう。
と、そんなことを、考えていた夜でした。
案件というのは、うまくいくこともあれば、行かないこともある。
そうわかっています。多くの物事にはそう、対処もしています。
しかし、今回は、本当にひさびさに、抜け殻にとらわれるくらいの
強い気持ちを持っていた自分の気持ちをしって少々びっくりしています。
しかしそれも、最大で半日くらいのこと。
その案件が終わったことで、有限な時間資源を次の「創ろう」に
回せることになりました。
また、その案件のために待ってもらっていた「一緒に創ろう」という方々と
検討を進められる時期になりました。
もともとなかったものでも、手に入れた可能性を失うと、
人はそれに未練ができるもの。
しかし、よく目を凝らしたい。
それが手に入らなかったことで、手の中をふさぐものはなくなった。
新しいものを受け取るチャンスをてにいれたのだ、と。
人にはよくそういうことをアドバイスしますが、
まさに自分自身に、そういうべき、と客観化した自分が言っています。