DID。光なき世界。反応のあたたかさ。

Dialog in the Dark
私が、暗闇研修、と適当な呼び方をしているものは、正確には、ダイアローグ・イン・ザ・ダーク、と言います。略して表記するならDID。研修とも正確には違います。
完全な暗闇が設計されていて、1時間いても全く物は見えません。うす暗いのではなく、完全に光がない。
チームで課題をクリアをするものの、目が見えないと、物体の大きさ比較や、ご飯の用意なども全然できず、自分だけがやり方を想像して推し進めようとしても皆が共通認識を持たないとチーム活動が破たんする。そういう中では、ここにいるよ、きいているよと、はっきりと声を出さないといけなくなり、かなりはっきり言葉で自分を表現し始めます。
声の出し方が雑だと、意味がかわるので、丁寧に出すし、皆が反応を返してくるので、次第に暗い中にそこに輪郭が見えてくるようでした(ただ、その輪郭は、心理の中でだけ。後で明るい所で確認すると全く違っていました)。
その研修で体験したこと、気が付いたこと、書くのは、ネタバレになるので、慎重に避けますが、私がそこを出て最初にとったメモは、冒頭の物です。
人間は、1人の力では問題が解決できないと、悟ると人と協力する状態になります。震災の中でもそれはみられます(ディストピア)。企業やチームは本来、そういう、相互支援、相互フォローを必要としていて、1人じゃ突破できない壁を突破するための力が出現できるわけです。
感じたことがたっぷりある、面白い体験でした。
(追記)
体験の一週間後、つぶやきの中でこんなことを書いていました。
「ダイアログ・インザ・ダーク。体験をした中で、声の出し方をまず学ぶ。漆黒の中では声を発さないと存在の輪郭がぼやける。徐々に声を出さない人の存在がぼやけてしまう。相づちも声だけなので、明瞭にしかし優しく打つ。声の性質や出し方が不安な中で人をリードする。」
「ダイアログ・インザ・ダーク。この中でわかったのは、暗闇で行動をするのに、最適な人数があるということ。コラボレイティブな作業をするのに、腕の数が増えるほど効率的になりえるのは、情報交換コストが限りなく無視できるケース。(例:多国籍メンバーが共通語を持たないならば、増えるほど、混乱するだろう。)」
「多すぎる集団は、作業可能人数に分けて並行作業をし、のちに統合する。生存行動に対して、複数人の方が助け合えて、1人よりも生存確率が上がる可能性があるが、集団サイズが大きすぎれば、「コミュニケーションコスト(確認、伝達、)」や「トライとフィードバック」の時間増加。ある水準を超えると一人の方が生産性がよくなる」
「(沢山のものを大まかに三分割して、その中で、それぞれの処理をして、のちに、連結する。それではうまくいかない場合もあるが、うまくいくときは早い。)」
「(月で遭難。というグループ検討ワークがある。20品目のうち、7品目しか持ち出せない。それで母船まで3時間のうちに帰る。何を持っていくといいか。(数字うろ覚え)。議論人数が増えるほど、より有効な解を得る。例えばピストル。初めは突飛な案に思えるが、崖を反動で跳ね上がり大幅な時間短縮解。)」
「ダイアローグ・インザ・ダーク。暗い中で議論中にも、僕はリーダ役として議論に聞き耳を立てながら時々腕を伸ばして、周囲を探索していた。部屋のサイズをしり、障害物を知り。もし本当の危機が来たら、逃げるべき方向を知りたかったから。座って議論を続けるのは、そこが安全という前提。」
「渋谷駅、山手線ホーム、ベンチ。目を閉じて、風景をみてみる。もう一つの。目を閉じて電車を三本、やり過ごす。電車の入ってくる様子が、べた塗りの中にホワイトでかいたように朧に見える。最後にホームを降りる人の足どりのちがい。動いているものは、目を瞑っても見える。朧に。潜むような佇まいの人は消えてしまう。スピーカーの音でも、人の動きはかき消される。山手線のドアが一斉に閉まる瞬間、ホームのベンチはその振動を拾う。それだけ結構な瞬間力がおこるのか。」
■ idea
いつか、真っ暗の中、あるいは、無音の中で、新しい学びをもたらすようなアイデアワークショップをしてみたいです。