志しは、体温を上げる。
今日、カバンを整理していて、いつもお守りのように入れていたカードを、久々にめくってみました。
そのカードには、今からちょうど2年前のあき、私が、島根の中村ブレイスにお伺いして、1日がかりで、お話をうかがい、工場を見学する機会を得た時のものでした。
そのカードメモをめくっていくと、あの時の情景が鮮明におもいだされて、震えるような強い気持ちがわきあがったことを思い出しました。それは―志し―というべきもの、です。
私がつねづね理想としている「世界中から尊敬される企業」のモデルとしている同社。ようやく念願かなってお伺いしたその日、創業者である中村さんは、午前いっぱい、私にゆっくりとお話をしてくださいました。これまでの事業のこと、仕事についての思想、それをこえて、フィロソフィーというべきもの、そして、私がどうしても聞いて帰りたかった3つのことへの回答。
必死で書き留めた肉筆のメモ、いつもは大事にお守りにしていて開けないのですが、久々にめくってみて、突き動かされるような強い気持ちがわきあがるのを感じました。
今日の夕方におこなったウオーキングで、最近はかかなくなっていた汗を結構かきました。よるも、12時を超えると眠たい時が多かったのですが、この時間でも、全力でお仕事中です。
そういうムラのあることじゃ困るよ、と、スマートな友人にはいわれてそうですが、それでいいんだよ、と私は思うのでした。
かっこ悪くても、要領が悪くても、収益があんまりなさそうなみちであっても、志した道をだれよりも力強く進んでいく。それで、僕は、いい。
そんなことを思うのでした。
私は最近、「講師業」という立ち位置にこだわり、お行儀のよい講師であろうとする思考が流れていた気がします。もっとも僕が伝えたいこと、相手になってほしい姿、可能性を信じる、未来に明るいものがあると想起していくメンタリティー、そういうものを、どこかに置いたまま、技巧的な先生業をしはじめていた気がします。
既存の職業分類的には、コンサルタントとか講義業とか、そういうものに入るのは、わかっていますが、自らをそう規定してしまって、自分自身を見誤らせることをしても、しかたない。
つくりながら道をゆく。
つくりながら、その道を疾走していくような、人が、多分、人口の0.3%ぐらいは必要なんだと思うんです。同級生が300人いたら、一人ぐらいはそういう生き方をする、ような、割合で。
(開発は、センミツ、つまり、3/1000 とよばれるレイトから、想起した割合です。さほどの強い論理性はないのですが、直感的に。)
私自身、そういう生き方を死ぬその日までしたいし、そういう生き方をする3/1000の人を、創造の面から支援することが私の使命だと考えています。
ちなみに、仙台市民が100万人。ということは、仙台の3/1000は、3,000人です。この狭いエリアに、私が将来20年かけて、もっともっと前に進んでほしいと思って支援する人がそれぐらいいるとおもいます。日本全体ならば(出会えないかもしれないけれど、総数としては)300,000人。一生の間に、30万人とあって会話することは無理でしょう。彼らに必要なものを必要な時に提供できるように、私はもっともっと、仕事のスタイルを強く柔軟なものにしたいと思います。