推論のアプローチは3つある。deduction,induction,sbduction
まとまりきれませんが、現時点で、学んだこと、考えたことを、整理するため、メモを書きます。
演繹(deduction)
帰納(induction)
アブダクション、あるいは、リトロダクション(abduction , retroduction)
推論のアプローチは3つある。
前提が確かであれば、結論が確かである「演繹」。
展開において、情報は増えない。
枚挙的に確からしいものを導出していく「帰納」。
結論は、事例数が増えるほど確からしさが上がるが、絶対に正しいとは言えない。
展開において、情報は増える)
(ただし、高校の数学の授業でならうN=Mのときに、正しいと仮定したら、N=M+1の時にも正しい、N=1の時も正しい。よって、全てのMで正しいと結論できるは、例外。これは絶対に正しい。場合の数を埋め尽くすことができれば、帰納的にも正しいことを証明はできる。きわめて曖昧な私見ではあるが、実社会において、場合の数をすべて埋め尽くすことができることはきわめてまれである。高度な単純モデル化をおこない、数学的操作で本質を表現できる場合に、この証明方法が適用できるわけだが、それは一般には難しく、多くの場合で正しいという事例を枚挙して、蓋然的な正しさを、主張するのが常である(と思う))。
少ない事例をもとに前提を推測する思考様式が「アブダクション」。
仮説的推論、という表現がもっとも、この思考様式をよく表すもの(だと思う。)
帰納的推論よりも、より低い蓋然性をもった方法であり、誤った判断を行うこともおおい。しかし、科学法則の発見など、創造的なアイデアを構築する思考作業である(らしい)。
アブダクションというと、SF的な文脈の誘拐などがあるが、論理学のそれとは、無関係。語源的には「ab=離す」「duction=導く」という単語であり、どちらもの意味も存在することは、なんとなく、わかる気がする。