素数を数える夜
今日は夜のウオーキングの時に、「素数(そすう)」の織りなす世界についていろいろ思いを巡らせていました。一年間だけですが数学科にいた身としては、素数の不規則なならびに興味をひかれます。
たとえば、1から10000までの数を一列に書き出して、素数を見つけていくには、2に○をして、2の倍数をすべてつぶします。次は3です。3に○を付けて、3の倍数をすべてつぶします。4はすでにつぶされているので、次は5です。5に○をして、5の倍数をつぶします。6もすでになし。7に○をして…、とやっていきます。
すると、のこるのは、2,3,5,7,11,13,17,19…となります。
任意の素数を「p」であらわすならば、今の消しこみ法だと、あるpがみつかったら、その倍数の消しこみ作業をすると、一番最初に消しこむのは「pの二乗」なんですね。たとえば、7に○をして、7の倍数を消しこもうとすると、7×2はすでに2の時に消されていて、7×3も、7×4も、けされていて、結局、消されていない数に出会うのは、7×7です。素数という数の性質上、必ず、消しこみ始めの最初の数は「その素数自身の二乗」なんですね。
素数の不規則な出現と、しかし、素数のある種の和のおりなす不思議な性質(ゼータ関数、リーマン予想…)については、考え始めると、群青色の空間を思考が下りていくような感じがします。
多分、私の予想でしかないのですが、ある種のシンプルな数式のおりなす不思議な多様性というのは、それについて思いをはせると「フロー」(チクセントミハイのいう、自己完結性の高い作業に高度な没頭が起こる状態、フロー)をもたらすのかもしれない、とおもうのです。数学者や理論物理学者の没頭は、一種のフローにちかいのかもしれません。それだけに、シンプルなのに長年解けないのに取り組んで没頭させてしまう魅力をもってしまうのかもしれませんね。
無人島に流れ着いてしまって、夜することが無くなってしまったら、素数を数えて過ごすと、生涯たのしめるパズルになるでしょう。