怒涛の仕事量、というには、まだ程遠い
最近、ありがたい事にお仕事が立て込んでおります。
それだけ、誰かに必要とされているので嬉しい限りです。
いま、日付の変わった時刻ですが、書斎で本日頂いたメールへのお返事、行政系のお仕事で支援した案件のレポート執筆、参画している起業家プロジェクトでアイデアに困っている方から頂いた悩み相談メールへのお返事などを、したためておりました。
昼は、某企業さんの新商品開発のアイデアワークの支援として、今日は、ある製造プラントの中で特殊素材を使った試作品を一緒に作っていました。両手を真っ白にして、デジカメで試作品をとったり、てでこねたり。楽しい仕事です。
午前は、書類の関係で、東北大に立ち寄ったり、来月の講演の主催者さんと打ち合わせたり、と言う感じですごしていました。
その合間に、今週の後半にお会いする人々へもっていくある種の知見についての検討をしたり。
あと夕方には、今日連載の最終回でしたが、ITmediaの誠Biz.IDでの記事について、アップ直前に、編集部のかたと確認作業をしたり。
…。
昔ある先生が言っていました。
「偉業と呼ばれる仕事をなした人はみな、怒涛の仕事量をしていた」と。
私は偉業なんてのぞんではいませんが、でも、怒涛の仕事量をこなした人たちは世の中にいるんだとおもうと、まだまだ、今のこれぐらいは、序の口。もっともっと、仕事が出来るだけの力が人間にはあるんだろうなぁと思います。
ブログを書く、この僅かな時間だけが、自分の今日を振り返る時間ですが、最近ずいぶん、日曜日も仕事があって、「ゆっくり休んだなぁ」という時間がないことに気がつきました。先も「週末にしあげます」という返事を書こうとして、はたと、家族と過ごせる時間をとりたいよなぁ、なにか工夫してみよう、と思ったりしていたのでした。
沢山仕事をしつつも、きちんと家族と過ごしたり、心を豊かにする時間を持つ。
そういう路線がいいですよね。
矛盾する要求をクリアするには、よい発想方法があります。TRIZの発明原理、というブレークスルーの40パターンです。きっと、なにかいい方法があるとおもうんです。偉業を成し遂げた人たちが、精神的にも豊かであったことをかんがえると、きっと、工夫の仕方はある。それも1つや2つではなく、かなりたくさん、ある。そうおもいます。