これからの社会(高台に上り遠くに眼を凝らす)
これからの社会がどうなるのか、非常にざっくりとした予測ですが、私なりに(仮説に過ぎないとしても)未来予測という長期軸をもってみようと思いました。
さまざまなインプット情報の海に深くもぐり、さまざまな社会の断片がもっている速度・加速度を統合的にみていきました。(これを、社会への洞察、と表現したいのですが、未熟な私のそれを洞察と呼ぶにはおこがましい。小理屈さんの思い込み、ぐらいでいいのかも(笑)。ただ、石井なりの洞察、をして、言葉にしてみました。)
未来をしるすキーコンセプトが、3つ、あります。(と私は思いました)
一つ目は「シンプル」
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どんどん、そぎ落とされて、シンプルなものになるでしょう。
物質的にも、概念的にも。
食事、行政サービス、医療、仕事の仕方、製品スペック、娯楽の教授の仕方、学習、あらゆるものについて、2050年から振り返り日本社会は「シンプル化」を純増させているでしょう。資源をあまり使わず、人口が減少していく中で、強烈にそれはすすむ宿命的なトレンドとなるでしょう。
二つ目は「デザイン」
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世の中の多くの物体にはもっとデザイン的な向上が見られるでしょう。シンプル化がドライブフォースになるでしょう。部品点数が減り、機能性を維持するには、無電力・無関節で同等の機能を提供するように、製品の中にフォルム的なデザイン(その特徴はいくつもあり、一つには、非対称性の増加)が増えるはずです。物体だけではなく、コンセプト的なものにもそれが多くあわられるでしょう。レイヤーで行けば、「モノ」⇒「体験」⇒「コンセプト」のツナガリを徐々にデザイン要素が上がっていくでしょう。シンプルで、デザインで、北欧の空港やパブリックにみられるような、少なくても豊かな体験を、というのがすこし似たテイストかとおもいます。物質的に、あるいは、電力的に、時間的に、さまざまなリソースを節約してなお、感性価値をあげていくのに、デザイン要素は相当に増えざるをえない。
三つ目は「カルチャラル・コイン(流通可能にされた文化要素)」
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これは、うまく説明できるか分かりませんが、まずネーミングだけしてみました。昔チーム内で話題になった「創造的消費」「創造する消費者」の論文が引き金になっています。うまく整理できませんが、消費者が創る、創りながら享受する、そういう熟成社会に見られる文化的な創造と消費(享受)の霜降り状態。たとえば、例として、合成歌唱ソフトウエア「初音ミク」というツールと動画コメント共有サイト「にこにこ動画」というプラットフォームでみられる共に創る創造フローがあります。誰かが歌を作る。それに動画を描く。時には歌詞だけのスタートもあったり、それらをモチーフにした派生があったり。旧態的に言う著作権者が定義しにくい高品質な作品創造の営みがそこにはあります。今は、それがパッケージとなったときに旧態的にCD売り上げ、としてお金になり、配分されるというスタイルをとっています。しかしそれとてごくわずか。多くの創作者たちは、金銭的見返りのほしさに創るわけじゃなく、面白いからつくる、コメントや再生数というインデックスにした「共感され」「尊敬され」「認められ」「喜ばれ」感を、快く感じて、ドライブフォースとしています。この動機はかなり熟成社会特有の、高次段階の欲求です。彼らに今は、何も「蓄積可能な」そして「流通可能な」対価はもたらされません。プラットフォームの場の中で有名だ、ブランド築かれた、というのがせいぜいのところ(それとて、とても意味のあることではありますが)。ただ、この状況も、いずれかわるでしょう。彼らのそれは、流通が可能な「貨幣」のようなものとして、物質になるでしょう。コイン、と表現したのは、そういうイメージを付与したことばにしたかったからです。
その姿がどういうものであるのか、暗い先のほうを目を凝らしても、まだぼんやりとしか見えません。はてなのコインや、ゲーム内のお金で買えるコインも、その進化の歴史の一部で言及されるものでしょうが、それがファイナルの形ではないでしょう。
そういう「カルチャラル・コイン」ができあがった社会というのは、いまの資本主義経済とは、だいぶ違う姿をしているでしょう。資本主義経済でまわしているお金は、お金で、世界を構成しているし社会の熟成度によらず価値を共有できる物質であり、それはそれで存続。一方で、高度な感性価値や幸福度のたかいライフスタイルを享受する層に対しては、カルチャラル・コインは、お金と同等かそれ以上のものとして、渡され、流通し、蓄積されて、いくでしょう。
なんというか・・・ファインダー越しに世界の営みを見れて、お金の流れが赤でみえたとしたら、それとは別に「青」の流れでそれがみえる、そのときに、赤の流れと青の流れは、必ずしも比例していないでしょう。ほとんど赤しか流れていない流れもあれば、かなり青に近いながれのところもあるでしょう。
この流れは、善意とか、尊敬とか、公共財とか、オープンソースとか、人のためとか、志とか、そういう言葉で表現される営みのなかに含まれている成分です、多分。
カルチャラル・コインが、発明された時代では、きっと、芸術とか創造産業とかが、息を吹き返すことになるでしょう。経済的な成長の鈍化した先進熟成社会圏でも。
・・・やはり、余りうまくかけませんでした。
3つのキーコンセプト
【シンプル】
【デザイン】
【カルチャラル・コイン】
この3つのカードを胸において、長期的な視点で、いろんな活動を展開していくように、してみようとおもいます。(仕事も、社会貢献も、家庭も)
私とアイデアプラントはなにをなすべきか。
そのことを、なんども考え、未成熟なものではありますが、洞察を繰り返してみています。