失敗さえもきちんと蓄積すれば知的財産
あるナノテクの社長さんが昔大変興味深いことをおっしゃっていました。「実験装置を一日かけて運転して、予想通りのものが出来なかったときに、その運転記録を失敗だぁ!といって捨てたりしない。全て紙に出力して台紙に張り込んで、きちんとファイルしておく。」「『うまくいかなかった』というこの経験は、こういう条件でやるとうまくいかない、という知識が得られたことだ。これもきちんと形式を決めて蓄積していくことで知的財産となるし、実際に、そうした知財を外部が評価してくれる。失敗も含めたデータ群をストックファイルという”カタチ”にしておいたおかげでそれを担保にして資金調達できたこともある。」と。
私はこの話しを伺った時のことを今も鮮明に覚えています。大きな実験装置を運転することのコストはかなりのものです。人件費、材料費、エネルギー代。それから実用化実験への開発競争における時間ロス。これらをかんがみると実験の失敗をなるべく減らそういうことはあるとしても、失敗それ自体も知的財産だとして、手間をかけてそれを保存していくという姿勢が素晴らしいと感じました。さらに、それを蓄積したことでそれ自体に資金調達能力、すなわち担保価値が出てきた、という事実を聞いて大変感心しました。単に「失敗も経験」といった精神論ではなく、実際に会計帳簿上の価値になる。そういう事実にはっとしました。
このとき以来、自分の「創り出す」行為を失敗しても必ずオープンもしくはクローズに記録しておくことを無意識に行うようになりました。眠い日もありますが、それでも明日には忘れるような定性的な事柄などを眠気をこらえて記録してから寝ています。そのようなやわらかい情報は記録していかなければ、かなり早い段階で「単純化した記憶」に成り下がってしまうことにも気が付きました。相手のニュアンスや言葉の機微に含まれている暗喩。などなど。
今では、ある種のスキームを開発することが多くなりましたが、こうした各フェーズで経験する仕事を汎用化して記録して、将来再構成することで、ハンドブックを作れるようになったらいいなぁと思いながら、各種の作業を推進するようになりました。