60億人の意思で運営される社会。
人の世は、どんなに広く見ても、地球上の住人である60億人の人間によって構成される社会でしかありません。”世界はゆるぎなくて・大前提的なもので・あらゆるモノゴトは英知の光で明らかにされている”、そんな風に世界を感じることは標準的な人間の意識であるとおもいますが、実は経済や文明や私たちの暮らす社会システムは、高々60億人の人間の意志によってデザインされゆるい合意のようなイメージの社会の総意思で運営されています。(もちろん厳密に言えば必ずしもそうではありませんが。)
いきなり脱線ですが、もし将来世界人口が減って世界に人間が100人くらいしかいなくなったとしたら、世界経済というものは非常に足りていないことや未充足ニーズにあふれているでしょう。社会制度もきっと懸命で完全なもの、と頭から信じるものではなく、むしろ改善がされうるべき程度もの、と感じることになるでしょう。人口100人といえば、一世帯5人としたらせいぜい20世帯しかないわけですから。このくらいの人々が制度改革をすれば考慮不足だった法律でも検討されつくすことなく成立する可能性がある、と想像することは難しくありません。
さて、本題に戻ります。60億人の世界。というのは、どれだけの人がいると捕らえるべきでしょうか。無限に近いくらい多い人がいる。と私は感じていたのですが、60億のイメージがそもそも実感としてわかないことがどうもその原因だとおもい、『60億』のもつ量感を可視化をしてみようと思います。
60億=6,000,000,000=6,000×1000×1000
まず、「1単位」に相当するものとして1ccの水を考えて見ます。1cm×1cm×1cmのさいころサイズの容器に入っている水。これが1ccです。一グラム。でもあります。このさいころのような「1単位」が1000個あるとどれくらいの量になるでしょうか。
さいころを縦・横・高さ方向に10個ずつ積み上げていくと、1000個になります。10センチ立方の箱の中に入っている「1単位」が1000個、ということになります。これはちょうど牛乳1パック(1リットル)に相当しています。
ではさらに×1000を考えます。同様に、10センチ立方の箱を、縦・横・高さ方向に10個ずつ積み上げていけば、1メートル立方の箱になります。この中には、「1単位」×1000が1000個入っています。すなわち1,000,000個です。一メートル立方の水、というのはお風呂の水よりは大きいですが、規模感としてはそれくらいのサイズの水の量になります。
では、残る6000ですが。まず、6000のうち300使って考えます。300個の1メートル立方の箱を、25個ずつにわけます。すると全部で12セットできます。これを25メートルのプール(幅12メートル)につめていきます。するとちょうど300個です。プールの深さが2メートルあればさらに同じ300を上に入れていくとちょうどプールの深さは一杯になります。これが1メートル立方の箱600個分の規模感です。6000個は、このようなプール10個分に相当します。
以上を要約すると、1センチ立方のさいころの様なサイズの水を「1単位」とすると「60億」というのはプール10杯分の水容積に相当します。確かに多いですね。でも、60億、というのは決して無限に多いわけではなく、せいぜいそんなもんだ、といった感覚にもなります。
人間の脳は5%しか使っていないといいます。人間の脳みその容積のおよそ5%というのは、1センチ立方(よりはもう少し大きいと思いますが、せいぜい10倍くらいでしょうか)としたら、世界中の人間の有効活動している脳みそを集約したらそれはおよそプール10杯程度、ということになります。(もちろん、活用している5%というのは局所的ではないとおもいますが)
人類の英知で成り立っている今日の社会は果たして賢明でしょうか、完全でしょうか、十分に熟成した社会でしょうか。答えは簡単ではないと思います。ただ、人間が感じるほどには人間社会は十分な完成度にはなく、まだまだ新しい発見や発展というものは、ごまんと生まれてくるだろう、という前向きな社会観がごく当たり前に思えませんか。この世の中はいろんな取組みチャンスに満ち満ちた世界であることはきっと間違いではない、そんな気がします。