発展途上は先進よりも幸福かも(石井私見)
ところで、最近、仙台はガソリンが枯渇し車が減り、燃費を考発進もゆっくりになっています。歩行者や自転車が増えました。夜空もいつもより明るく澄んでいます。人々は困っていると助け合い、譲り合うし、知らない人同士が、よく喋ります。ふーむ、、、。我々は便利さと快適さの追求を経済発展を通じて行ってきたはずなのに、なのになんででしょう。新しい戦後、のような時間を共有し人々は、来た道をやや間違っていたかもしれない様な気がしている、そんな気がします、石井私見ですが。
もちろん、食料が枯渇し、寒さをしのぐ灯油もないと、飢えと寒さは人の動物的本能も呼び覚ますのか、一部でよくない行いをする事件も耳に入って来ます。
その意味では、衣食住足りて礼節を知る、という一節には下の句が必要かと思います。
衣食住足りて礼節を知る。足り過ぎれば共助と感謝を失う。
ちょっと不自由なあたりの発展途上の方が人間って実は幸せ。ーーーなのかもしれませんね。貧乏しながらも輝く汗の時間を過ごすことは、単にノスタルジー嗜好にとどまらない何かがある気がします。
「不自由」「不足」。
それを新しい資源に出来ないだろうか。
そう思うのです。