悲しい時は、立ち止まっている
親しい人を失った悲しみは、人を思考停止、活動停止に追い込む。しかし、その人が志し半ばであったなら、方法は違えど生き残った人に、社会をよりよくするという究極的な目標を叶える為に、今すぐ、もっともっと、力強く進んで欲しいと思うだろう。時に悲しみ涙を流すことも決して悪い事ではない。だがそればかりじゃいけない。ーーこんなことをブログに書く日がくるとは思いませんでした。しかし、これもこの時代を生きた人間としての偽りの無いところです。
「悲しい時、人は立ち止まっている。長くそこにいてはいけないよ、そこは暗くて包まれている暖かい泥沼の様な時空だ。いえたら、もう出ていかないと。長くいると、深く沈んだ足は振り出せなくなる。」
村上春樹さんか、吉本ばななさんか、あるいは雑誌のだれかのコラムだったか、学生時代に読んだ物語の中に、たしかそんな言葉があった気がします。
自分に必要な言葉を、紙に綴る事で記憶から引き出している様なところが人にはあります。私もそうです。悲しみに鈍感になる訓練など要らないけれど、いえたらそこにとどまらないという強さはいると思うのです。
凛と、ゆこうー。