こういう時期だからこそ『祭り』を
説明がうまくできませんが、私は思うのです。
こういう時期だからこそ『祭り』や『イベント』をやるべきだと。
もちろん、資源の乏しい地域の貴重な資源を大量消費するようなことは、避けるべきですし、もともと実施が困難でしょう。
そうでないところは、「人力」で、やったらいいと思うのです。
生き残った仙台の人はみな、知人や友人がなくなっています。悲しいし、行く先々で出会う人の悲しみを自分の立場に立って考えていくと、耐えきれない。生き延びた人の戦後ってこんな気持ちだったのかな、と思います。わかりませんが。
でも、今は、みんなが精神科医のような細やかさでお互いに配慮しあって、お通夜のようになってちゃ、ダメでしょ!。絶対ダメ。理屈は分からないけれど、とにかくダメ!!。そう、私は思うんです。
小理屈をはなれて「動物的」な躍動感の引き出される「祭り」が、こういう時期だからこそ必要なんだよって、祭りを作り出した昔の人の気持ちを思います。大声出して、ときの声をワーワーあげながら力いっぱい動いて汗かいて、酒を飲んで、大声で笑って、、、たぶん、泣くだろうとおもいますが、その泣きながら大きな声で笑って声出していくような、そういう『祭り』。それが、原始の時代にうまれた祭りの原点なんではないかとおもったり。(わかりません、民族歴史学の知識はありませんので)。
2011年3月11年には、東北には新しい「祭り」があるでしょう。
でもね、それを待たずして、大地震前に計画されていた「楽しいこと」「祭り」は被災地の中でだってやったらいいんだと思うんです。
追伸:
私の、ワークショップ等の情報発信サイト 「 http://e4cw.sblo.jp/ 」も、そろそろ更新していこうと思います。